去年の1月にTwitterを始めたとき、大学生の男性と相互フォローをした。映画が好きで、作品の解説をYouTubeにアップしていた。
その感想をTwitterにコメントすると「そんな見方があるんですね!」「その表現とても好きなので使わせてください!」と反応してくれた。
ある日、「どうしたらそんな見方ができるんですか?」と聞かれ、映画の勉強におすすめの本を紹介した。無数にある映画本の中で読むべきはこの一冊だけでいいと思っている。
奈良で生まれ育った井筒少年の映画との出逢いから、映画監督になってからも刺激を受けた65作品に寄せたラブレターのようなエッセイ。1965年の『バルジ大作戦』から92年の『許されざる者』まで中心はアメリカン・ニューシネマ。
作品の解説はほとんど無く、井筒監督がどんな暮らしをしていた、どんなことを考えて生きていたかなど、大半が自分語り。プロ視点の解説が読めると期待していたので、最初は面食らった。
しかし、ここで紹介された映画を追っていくうちに分かってくる。映画は作品ではなく、作品を観た自分自身を語るものだと。
それが他者と本当に作品を共有すること。映画というフィルターを通して、自分の人生を他人におすそ分けする。良い映画は自分を正直にさせ、自己を解放する。
映画を観た者から新たな物語が生まれ、他者に派生していく。そうして映画は永遠の存在となる。映画が人生の一部になったとき、はじめて映画は映画になる。それまでは、ただの映像。映画は観客がつくる。映画が観客を救い、観客も映画を救う。井筒監督の本からそれを学んだ。
Twitterで知り合った彼はいつの間にかTwitterもYouTubeもやめ、TikTokでアイドルの半生を取り上げるチャンネルを持ったようだ。
そんな彼が何ヶ月か前にセレブの半生を解説したYouTubeチャンネルを開設し、たまたまディカプリオの回を目にして再会した。「あのときの大学生だ!」
そこには以前のナレーションだけの動画と違い、彼自身が画面に登場し、少し照れ臭そうに映画への想いや自分の人生を語る姿があった。
「お久しぶりです」とコメントすると「YAMATOさんに勧められた井筒監督の本を買って勉強しています」と返してくれた。彼自身、動画のクオリティはまだまだと言っているが、お楽しみはこれからだ。
これまで映画を何本見たかではなく、これから観る映画が何本あるか。それが真の映画ファンである。