『君の名は。』は高校生の男女の「入れ替わり」を通して「結び」を描いた新海誠の第6作。直前に制作されたZ会のCM『クロスロード』をプレリュードに様々な要素をクロスさせている。
ひとつが名前。「立花 瀧」と「宮水 三葉」。
瀧は姓に植物、名に水があり、三葉は逆の構図。
もうひとつが舞台。新宿と飛騨。都会と田舎。『君の名は。』は空間色が強い。これまでの新海作品で空間移動は、運命に翻弄される象徴が多かった。『ほしのこえ』の入隊、『秒速5センチメートル』の転校、『言の葉の庭』の帰郷。しかし、三葉と瀧の平行移動は自らの意志によるもの。隕石という自然の摂理や「忘れる」という人間の宿命に抗う。
須賀神社(須賀町)
ラストシーンでふたりが結ばれる階段は新宿の須賀町にある。5月28日(土)、劇中では桜の舞う3月の設定だが、最高気温28℃の晩春に大久保駅から三葉と同じ総武線に乗った。
彗星が落下する前、信濃町駅前の歩道橋で瀧と三葉は、互いの携帯に電話をかける。通じないが、近づこうとするふたりの意志を表したシーン。
歩道橋から見える代々木のNTTドコモビルが美しい。新宿を象徴する風景であり、代々木は言の葉の庭(新宿御苑)からも遠望でき、次作『天気の子』の舞台となる。ここから須賀神社まで歩いて10分ほど。三葉が降りた千駄ヶ谷駅からはもちろん、瀧が降りた新宿駅の南口からは相当の距離がある。しかも須賀町の入り組んだ場所にあり、すれ違う確率はかなり低い。出逢えたのは、ふたりの意志の結晶だ。
新海誠が神社を選んだのは縁結びや三葉の出自もあるが、須賀神社は三葉が瀧に逢いに東京へ飛び出したときに一度来ている。階段の真ん中に手すりがあるのはカタワレどき。だから須賀神社を選んだのだろう。
瀧や三葉はすでに過去の記憶を失っているが、魂が覚えていた。車窓から瀧に気づいたのも三葉であり、瀧は三葉に導かれる。『君の名は。』のリードヴォーカルは三葉。
なぜ新海誠は、ふたりを階段で結んだのか。階段は乗り物では上がれない。自分の足で登っていかなければいけない。そこには意志が存在する。ふたりは自らの運命を駆け昇るクライマー。他者にとっては「なんでもないや」の場所でも、新海誠は重要な舞台に設定する。そこに主人公たちの運命を委ねる。新海誠は自己の無意識と対話しているから、見た目のキレイさではなく、時空と重力を捉えることごできる。
一度はすれ違うも、振り向いた瀧と三葉は共に涙を流し「君の名前は」と叫ぶ。そこに「?」はない。名前は聞かなくても互いに分かっている。あるのは「。」という意志の句点である。
ラ・ボエム(新宿御苑)
須賀神社から新宿のアパートに戻る途中で立ち寄ったのがラ・ボエム。言の葉の庭(新宿御苑)の眼の前にあり、瀧がアルバイトしていたイタリアン・カフェ。
三葉の高校の先生が雪野であるように、新海誠は前作の襷(たすき)をつなぐ。映画を完結させない。未完の尊さを知っている。
三葉は瀧の学園生活に加え、ラ・ボエムでのアルバイト生活を体験する。本作で描かれる時間は瀧より三葉のほうが長い。オープニングも三葉から始まる。
ラ・ボエムは、飛騨でカフェに憧れる三葉の憧憬そのもの。口噛み酒によって瀧と三葉はつながるように、新海誠は食べ物を「結び」として使う。
そして、ラ・ボエムは奥寺ミキが働く場所。デートのあと奥寺は瀧の夕食の誘いを断ることで「結び」を拒否する。ラ・ボエムは奥寺そのものであり、奥寺がいなければ、三葉は瀧に逢いに東京へ飛び出していない。ふたりを結ぶ最も大切な場所。ラ・ボエムは『言の葉の庭』の東屋なのだ。
新都心歩道橋(西新宿)
夜の帳が下り、新都心歩道橋に向かった。ここは社会人になった瀧と三葉が初めてすれ違う場所。
何度も登場した四谷の歩道橋ではなく、西新宿に移動したのは新章の始まりを示唆している。新海誠が描く景色には必ず言葉がある。我々はそのメッセージを受け取り、魂を咀嚼する。
テッシーとサヤちんが結婚式の打ち合わせをするのは、歩道橋下のエクセルシオールカフェ。糸守の町を失った住人は”新しい宿”である新宿に集う。ここから新しい人生を生まれ直す。いかに新海誠が新宿を愛しているか。この街が孕む力を信じているか。新海誠の作品はすべて「此処ではないどこか」の物語。
新宿警察署裏(西新宿)
『君の名は。』はオープニングが2度ある前衛的な作品。『夢灯籠』の30分後に『前前前世』が流れ、第2章の幕が開ける。そのとき描かれるのが、新宿警察署裏の交差点。夜明け前の西新宿、センタービルとモード学園タワーの奥から日が昇り、世界が目を覚ます。「新しい物語を宿す街」新宿にふさわしい旋律。『前前前世』は宣戦布告のファンファーレである。そして、この場所は十字路であり、多くの人生のクロスロード。どのベクトルに向かうは自分次第。新海誠はたった数秒の映像の中に『君の名は。』の核となるメッセージを宿している。その一歩は自分の意志で踏み出していますか?