座頭市は「月」である。闇夜で、おたねを優しく見守る光。
三隈研次は時代劇×ヤクザという2本の刀を重ねることで、至高の映画を生み出した。
呼吸の乱れ《聴覚》で平手の病を察する座頭市、右肩の筋肉《視覚》で座頭市の執念と力量を察する平手。《感覚》という刀を交わすだけで時代劇は成立する。
ヤクザの戦争の渦に巻き込まれるなかで、平手は病魔に殺されるより、市の刀で供養されることを選ぶ。その心意気に応える市もまた、平手の血と宿命を背負った刀を小坊主に供養してもらう。
これは「意志」と「生まれ直し」を描いた映画である。
最後のセリフ「どうせろくな奴じゃねえだろ」も、過去を斬り捨てて、新たな人生を始める道標。
街道で待つおたねを捨て、なぜ市は獣道を登るのか? それは、おたねの幸せを願う愛と、決まりきった人生を歩むのではなく、これからも何度も生まれ変わりたいという座頭市の願いが込められている。
座頭市物語の概要
日本映画のおける最大の時代劇監督・三隅研次の最高傑作。子母沢寛の随筆集『ふところ手帖』の短編「座頭市物語」を元に浪曲「天保水滸伝」の侠客の抗争にからめて作られたオリジナルの作品。1989年まで26作が作られた。最大のヒットは三船敏郎と若尾文子が出演した1970年のシリーズ20作目『座頭市と用心棒』。
座頭市は常陸の国(茨城県)の笠間市の出身。幼少の頃にかかった病で目が見えなくなった。完全な盲目ではなく、明暗はわかる。職業は按摩師(マッサージ師)。
あらすじ
目でありながら居合いの達人であるヤクザの市は、下総飯岡の貸元・助五郎のもとに草鞋を脱いだ。助五郎は留守だったため雑魚部屋に通された市は、丁半博打で彼を騙そうとする飯岡の子分衆から逆に金を巻き上げる。飯岡一家に見切りをつけて出立しようとした市を殺そうと子分衆の一人・蓼吉が追うが、ちょうどそこに親分・助五郎が帰ってきた。助五郎は、笹川の繁造一家と対立中であり、かつて市の居合いを間近で見たこともあって市に長逗留を勧める。
大映の名作
座頭市をリスペクトして作られた『サマーフィルムにのって』