- 原題:Scarecrow
- 公開:1973年4月11日
- 日本:1973年9月22日
- 監督:ジェリー・シャッツバーグ
- 出演:ジーン・ハックマン、アル・パチーノ
- 撮影:ヴィルモス・スィグモンド
- 脚本:ギャリー・マイケル・ホワイト
- 音楽:フレッド・マイロー
- 配給: ワーナー・ブラザース
- 上映:113分
あらすじ
なぜアメリカン・ニューシネマが人生を変え力があるのか?なぜニューシネマが映画史の最高密度なのか。『スケアクロウ』を観れば、その理由がわかる。
暴行傷害の罪で服役し6年間の刑期を終えたばかりのマックス(ジーン・ハックマン)。5年越しの船乗り生活から足を洗ったライアン(アル・パチーノ)。南カリフォルニアの荒野でヒッチハイクをする2人。人懐っこく笑わせようとしてくるライアンを無視していたマックスだが、ライターが燃料切れを起こし、ライアンが最後に残ったマッチを出してくれたことで心を開き意気投合する。喧嘩っ早い上に神経質で、異様に厚着をしたりブーツを枕の下に敷いて寝る奇行を持つマックスは「裏切れば殺す」と脅しながらも、ピッツバーグで開業しようと考えている洗車屋の相棒にライアンを指名し、彼を「ライオン」と呼ぶようになる。
映画レビュー
暴力でしか自分を防衛できないマックス、人を笑わせる“フリ“でしか存在を確かめられないライオン。カラスを脅かすカカシと、カラスを笑わせるカカシ。どちらもカカシの表情は同じ。カカシは自由の女神。カカシはアメリカの象徴。
マックスはカーウォッシュを始めようとする。車もアメリカの象徴であり、アメリカは汚れる。その汚れたアメリカで暮らすマックスは自らの人生を洗い直そうとするが、カカシにアメリカン・ドリームは掴めない。カカシの表情が変わらないように、マックスもライオンも変わらない。
旅先で女を引き寄せるマックス、望んでもいない男を引き寄せてしまうライオンのコントラスト。マックスもライオンも最初から最後まで変わらない。ふたりが変わらないから、ふたりの関係性は変わっていく。
枯れた草むらでふたりが出会う冒頭から、ひとりになったように思えてそこにはもうひとりが存在しているラスト。旅の目的地はゴールではない。旅が目指す先はいつもスタートである。
こぼれ話
これほど凄い映画なのに、主演のふたりと撮影監督のヴィルモス・スィグモンド以外は無名であることに驚かされる。一発屋はバカにされがちだが、やはり一発屋は尊い。聖なる一回性の輝きは永遠に不滅。
アメリカンニューシネマの傑作