- 原題:Fight Club
- 公開:1999年10月6日
- 日本:1999年12月11日
- 監督: デヴィッド・フィンチャー
- 出演:エドワード・ノートン、ブラッド・ピット、ヘレナ・ボナム=カーター
- 撮影:ジェフ・クローネンウェス
- 脚本:ジム・ウールス
- 原作:チャック・パラニューク
- 音楽:ザ・ダスト・ブラザーズ
- 主題歌:ピクシーズ「Where is My Mind?」
- 制作: リージェンシー・エンタープライズ
- 配給:20世紀フォックス
- 上映:139分
あらすじ
ガチンコ・ファイトクラブよりガチンコなファイトクラブ。オレンジのジャケットを着たブラピがカッコ良すぎて、木村拓哉がInstagramで紹介したファイトクラブのTシャツがカッコ良すぎて、半袖のTシャツと冬用のロングパーカーの2つを愛着している。
大手自動車会社に勤務する男(エドワード・ノートン)は不眠症に悩んでいた。精神科の医者に苦しみを訴えると、癌セラピーの参加を勧められる。出張続きの日々を送るなか、飛行機の機内で石鹸の行商人タイラー・ダーデン(ブラッド・ピット)と出会う。自分と同じアタッシュケースを持ち、「本気になれば家にある物でどんな爆弾も作れる」と語るタイラーに好感を抱くようになる。
映画レビュー
映画がなぜこの世に存在するのか?その答えが『ファイト・クラブ』にある。
タイラーの赤いサングラスは赤ん坊の色。本能というフィルターで世の中を見ている。本能で生きる者には、お金もブランド品も必要ない。
映画の調味料である妄想は”解放”であり、恐怖や暴力(破壊)は”快感”と”新生”への浄化。すべては自分次第。タイラーが「ヘミングウェイと戦いたい」と言うのは、戦いがあるからこそ世界は素晴らしいことを知っているから。獣医を諦めたコンビニ定員を煽るのも、結果ではなく戦うことに意味があるからだ。
そんな自由を奏でるファイト・クラブにも1つ抑圧がある。ファイト・クラブの存在を口外してはならないこと。現代は情報に溢れ、秘すれば花が失われている。情報(他人)によって動くのではなく、グッと握り拳をつくってファイティングポーズをとること。口内に銃を突っ込まれても「これは清潔なのか?」と言える男になりたい。
俺たちは大いにファイト・クラブを語れる。