
シリアルナンバー32。それが僕の『あなたがいるから』
柔らかなひらがなのタイトルには、控えめな確信が宿っている。「あなたが映画や本を支えるんですよ」と、心地いい投げやりがある。
装丁にはラベンダーの清らかさと、淡い土の温もり。デザインとタイトルが、本の内容を語ることはない。読み手の想像を待っている。
描かれているのは横顔の女性。白いボーダーのシャツに身を包み、視線の先には窓。その向こうに広がるのは、どこかの景色。家なのか、カフェなのか、夢の中なのか。この本自体が“窓”のように、読者をまだ見ぬ世界へとそっと羽ばたかせる。ページをめくるたびに、何かを解放していく予感が泳いでいる。
101篇のレビューを読み進めていく。不思議なことに、好きな映画よりも、知らない映画のレビューに心が動かされる。作品ではなく、自分自身の新しい一面に出逢える悦び。筆者と会話しているわけではないのに、「そうだよな」とハッとさせられる。
たとえば『HOMESICK』という日本映画に記された一文。
「留まるという冒険だってある」
あるいは『こっぱみじん』という邦画のレビューに綴られた1行。
「"またね"という、世界で最もシンプルな勇気がある」
短いフレーズに息を呑み、ふーっと息を吐く。作者にとっての映画批評が、読み手にとって「心の余白をひらく行為」になる。内臓ではなく、魂が深呼吸をしていることに気づく。
知ることが尊いのではなく、「未知」という状態に人生の意味がある。筆者は、そう語りかけてくる。
映画でも美術でも音楽でも、いろんな人の文章を読んでいると、「ああ、この人は作品に恋をしているな」と感じることが多い。恋することは作品との距離がなくなってしまうこと。それ自体はステキなことだ。同じ映画や俳優に恋している者が読めば共通言語となる。しかし、熱量が強すぎれば、他者を遠ざけてしまう。こう書きながら、自分でもよくやってしまう。
恋心ではなく、愛情を持って書けば、冷静に厳しく体験と向き合える。第三者が読んだときも、火傷せず温もりを感じられる。そこが難しい。
映画批評家としての矜持がそうさせるのか、相田冬二という人間がそうさせるのか、その両方なのかもしれない。映画を絶賛していても冷徹な眼差しがある。少し離れた場所から光を注いでいる。熱湯と水風呂が一つの文章の中にあるような、不思議な温度がある。
筆者は映画に正直である前に、己に正直なのだ。自我に誠実なのだ。
この本は、映画の魅力を語るためではなく、「もっと正直なあなたでいてくださいね」と、読み手の背中を押す。映画の指南書ではなく、「もっと自由に映画を観てくださいね」と、そっとソファや椅子を差し出してくれる。
巻末で相田さんはこう書く。「100年後に映画は存在しない」と。
僕は、残っていると思う。
反論でも、強がりでも、そう信じたいわけでもなく、自信を持って言える。
100年後には、100年後の、あなたがいるから。

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