シネマの流星

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『黄金の肉体 ゴーギャンの夢』〜文明の首輪を断ち切る、飢えと自由の画家

『黄金の肉体 ゴーギャンの夢』

『黄金の肉体 ゴーギャンの夢』は、1986年製作のデンマーク=フランス合作の伝記映画。ヘニング・カールセンが監督を務め、脚本はクリストファー・ハンプトン、原案にカールセンとジャン=クロード・カリエールが参加している。主演はドナルド・サザーランド。共演にマックス・フォン・シドー、ソフィー・グローベールら。1893年、タヒチから66点の作品を抱えてパリに戻ったゴーギャンが、困窮の中で女性たちとの関わりを経ながら再び南の島へ向かうまでの二年間を淡々と描く。芸術と生活の矛盾を体現した天才画家の姿が、ヨーロッパの退廃と新しい創造のはざまに浮かび上がる。

スタッフ

監督:ヘニング・カールセン
脚本:クリストファー・ハンプトン
原案:ヘニング・カールセン、ジャン=クロード・カリエール
製作:ヘニング・カールセン
撮影:ミカエル・サロモン
音楽:オーレ・シュミット

キャスト

『黄金の肉体 ゴーギャンの夢』

ポール・ゴーギャン:ドナルド・サザーランド
アウグスト・ストリンドベリ:マックス・フォン・シドー
ジュディス:ソフィー・グローベール
アナ:ヴァレリー・グランドゥ

あらすじ

『黄金の肉体 ゴーギャンの夢』

1893年、ゴーギャンはタヒチからパリに帰還する。だが彼を待っていたのは貧困と無理解であった。手元にあるのは数十点の作品とわずかな小銭だけ。ヨーロッパの芸術界に殴り込みをかけようとするが、彼の絵は時代と折り合わない。失意と孤独の中で4人の女性と関わり、彼の肉体と精神は削られていく。だがその葛藤の果てに、彼は再びタヒチへと向かう決意を固める。

絵画レビュー:『黄金の肉体 ゴーギャンの夢』

『黄金の肉体 ゴーギャンの夢』

『The Wolf at the Door』という原題は、飢えや孤独を抱えながらも決して飼い慣らされない芸術家としてのゴーギャンを示す象徴である。狼とは群れから外れ、飢えを抱え、それでも自由を選ぶ存在だ。社会に入れてもらうこともなく、かといって外に去ることもせず、境界で吠え続けるその姿が、まさにゴーギャンの生き方に重なる。

ドガが「ゴーギャンは狼だ」と評したとき、それは絵の激しさだけでなく、ゴーギャンの存在そのものを指していた。株仲介人として巨額を稼ぎながら、その安定を捨てて荒野のような芸術の世界へ踏み込んだ。妻を「鍵を捨てた看守」と呼び、愛情を抱きつつも去ったのは、制度や安定に繋がれることを拒むためである。

市場が「赤より黄色い絵の方が売れる」と囁いたとき、ゴーギャンは「理解力の問題ではない、感性の問題だ」と言い放った。飢えることを恐れず、欲望のままに自由を選ぶ狼のように、芸術の扉を叩き続けたのである。

その狼性は代表作にも刻まれている。『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』では、文明の枠組みを超えて人間存在の根源に迫ろうとした。画面に流れる問いかけは、社会の家の中にも外にも居場所を持たない者の視線であり、境界で吠える狼の眼差しそのものである。

映画は1893年、タヒチからパリに戻ったゴーギャンが、66点の絵を抱えて画壇に挑み、貧困と孤独の中でもがき続ける姿を淡々と描く。やがてゴーギャンは「タヒチの人々は野蛮ではない。我々より洗練され、忘れていた天真爛漫さを持っている」と語るが、その言葉は文明の首輪を断ち切るための宣言であり、社会の境界に立つ狼の倫理。

『黄金の肉体 ゴーギャンの夢』は、芸術と生活、文明と野生のあわいで揺れるゴーギャンの姿を、狼という比喩によって鮮烈に描き出す。戸口に立つ狼は、家の中から見れば脅威に映り、外から見れば自由の灯りに見える。映画はその境界を静かに映し出しながら問いを残す。私たちは犬として首輪に安住するのか、それとも狼として飢えを抱えながら自由を選ぶのか。ゴーギャンの生は、その問いを今も戸口に立たせている。

ゴーギャンの映画

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