シネマの流星

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チャプリン『サニーサイド』〜ファニーはサニー、日常は輝く

チャプリン『サニーサイド』〜ファニーはサニー、日常は輝く

『サニーサイド』(原題:Sunnyside)は、1919年公開のアメリカ映画。チャールズ・チャップリンが主演・脚本・製作・監督を担ったファースト・ナショナル期の中編コメディである。舞台は田舎町。ホテル兼農場の雑用係として酷使される男が、村一番の娘エドナへの恋と、現実を越える“夢の舞踏”のあいだで揺れる。

スタッフ

チャプリン『サニーサイド』〜ファニーはサニー、日常は輝く

監督・脚本・製作・音楽(再公開時):チャールズ・チャップリン
撮影:ローランド・トザロー、ジャック・ウィルソン
配給:ファースト・ナショナル
公開:1919年6月15日(米)/1920年4月8日(日本)
上映時間:30分

キャスト

チャプリン『サニーサイド』〜ファニーはサニー、日常は輝く

チャールズ・チャップリン(ホテルの雑用係)
エドナ・パーヴァイアンス(村一番の美人)
トム・ウィルソン(ホテル主人)
トム・テリス(都会から来た若者)
ヘンリー・バーグマン(村人/エドナの父) ほか

あらすじ

チャプリン『サニーサイド』〜ファニーはサニー、日常は輝く

舞台はアメリカの片田舎、サニーサイド。小さなホテル「エバーグリーン」で働く雑用係チャーリーは、寝坊の常習犯だ。主人に尻を蹴られてようやく起き上がり、牛の世話から朝食の準備、清掃まで、あらゆる雑用を一手に引き受けている。怠け者に見えるが、誰よりも働いているのが彼である。

ある日、牛の世話中に転倒して頭を打ったチャーリーは、気を失い、夢の中で妖精たちと踊る。そこは現実とは違う、穏やかで優しい世界だった。しかし目を覚ませば、再び労働と叱責の現実が待っている。

そんな生活の中で、チャーリーは村一番の美しい娘に恋をしていた。彼女に会うときだけ、彼の世界は色づく。だが都会からやって来た紳士が娘に近づいたことで、チャーリーの恋心は試される。裕福で洗練された紳士に、貧しい雑用係が敵うはずもない。

失恋に打ちひしがれたチャーリーは絶望のあまり自殺を夢見るが、目覚めるといつものホテルのロビーだった。紳士は去り、娘の心は変わっていなかった。最後にチャーリーは娘と抱き合い、再び笑顔を取り戻す。夢と現実、希望と諦念が交錯する中で、物語は幕を閉じる。

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映画レビュー:チャップリンの田園詩、日常を照らす可笑しさ

チャプリン『サニーサイド』〜ファニーはサニー、日常は輝く

『サニーサイド』はチャップリンの“田園詩”である。牧歌的な風景の中で、日々の暮らしに潜む可笑しさが淡く光る。ここに描かれるのは、貧しさや不運ではなく、人が生きていくときの小さな間違いと、それを笑い飛ばす力だ。

ホテルの雑用係チャーリーは、何をやってもうまくいかない。寝坊し、叱られ、牛に引きずられ、恋にも破れる。それでも、どこか明るい。勘違い、すれ違い、お門違い。そのすべてが、生活のリズムとして息づいている。ファニーはサニー。 日々の失敗が、太陽のように一日を照らす。

チャップリンの凄さは、その笑いを作り物にしないことにある。牛を部屋まで連れてきてミルクを搾る場面。ミルクをカップに注ぎ、スプーンで軽くかき混ぜ、そして何気なく山高帽を直す。ほんの数秒の仕草だが、そこに“現実”が立ち上がる。

観客はその瞬間、スクリーンの中に引き込まれ、チャップリンと同じ空気を吸う。チャップリンの喜劇は、笑いを演じるのではなく、生活の手触りを見せることで笑いを生む。

『サニーサイド』は、夢でも悲劇でもなく、ただの日常を描く映画だ。朝起きて、働いて、恋をして、また尻を蹴られる。それだけの繰り返しに、チャップリンは人間の尊さを見ている。人生はしばしば面倒くさく、理不尽で、それでも愛おしい。

この小さな田園喜劇には、のちの『街の灯』や『モダン・タイムス』の原型がすでに息づいている。笑いとは、希望を大げさに語ることではなく、生きることそのものを肯定するまなざし。

サニーサイド。その名の通り、人生の陽のあたる側を探し続ける。どんな不運の朝にも、笑いの光が差し込む。

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チャップリンの傑作映画

サニーサイドという名のワイン