
新宿駅の南口はストリートミュージシャンのステージ。バスタ新宿に向かう人、出てくる人。荷物を抱え、誰もが何処かに急いでいる。足を止める者は少ない。それでも路上の音楽はやまない。彼らの歌声は風の迷路に消えていく。
新海誠は映画の中で新宿の孤独を映し出してきた。現実よりもリアルに写実してきた。新海誠の映画は、新宿の鼓動を呼吸するためにあるのではないかとすら言える。
新宿を誰よりも愛するアニメーション監督が新海誠。初めて観たのはTOHOシネマズ新宿『君の名は。』。こんなにも新宿を自分の街にしているアーティストがいるのか。ショックと同時に歓喜に震えた。『シティーハンター』と『Get Wild』に憧れ奈良から上京してきた新宿が、今では新海誠に染められている。
新海誠の描く新宿は、ただの背景ではない。自分と向き合う場所であり、自分の心の輪郭をなぞっている。新宿という都会の中に「心の自然」を描く。
新海誠の新宿は、喧騒の中にある「静かな孤独」。詩的で、心の奥に沈むような時間が流れる。新宿の景色は止まらない。そこに戸惑い、登場人物の心は、止まってしまう。新宿を走る「時間の列車」が自分を置いていく。新宿の風景は、人の心よりも先を行く。その景色に追いつこうとして、歩き出す。新宿とは、生きることの詩である。
雲のむこう、約束の場所
JR新宿駅

新海誠の作品で初めて新宿が登場するのは第2作『雲のむこう、約束の場所』のオープニング。ヒロキは埼京線で大宮駅に行き、そこから新幹線で津軽に帰郷する。2004年に製作された当時とはJR新宿駅の改札は大きく変わっている。映画の時刻案内板には中央線、中央本線、東海道線、埼京線があった。長野から小海線に乗って上京した新海誠にとって、新宿駅は旅の終着駅であり、新たなドラマを宿す始発駅。
新宿あいうえお
岡部と富澤が旧交を温めた店が新宿三丁目の居酒屋「あいうえお」。開業50年以上で、新海誠も常連。2代目のご主人の記憶では『言の葉の庭』のときに来たそうだ。ご主人によると、岡部と富澤のモデルは新海誠と交流があったアニメ監督の出渕裕と脚本家の伊藤和典。今回は時間がなかったが、いつか改めて詳しい話を聞きたい。
言の葉の庭
『言の葉の庭』は靴に人生を捧げる15歳の孝雄が、27歳の古典教師・雪野に靴を作る物語。孤悲を卒業し、愛に向かう。旅立ちと卒業式の映画。ラストに雪野の故郷・愛媛が登場するが、それ以外のほとんどが新宿御苑を舞台にする。
新宿御苑
新宿駅の東口を出て世界堂を見上げながら新宿門へ。開門直後の9時、意外にも人が結構いる。
欅の息吹が瑞々しい。赤ちゃんのようにスーハー静かに呼吸している。
孝雄のようにピョンピョン水溜まりを跳ねながら進む。晴れの日は何も意識せず歩く道も、波紋ができると無機質な地面に生命力を感じる。
霞む摩天楼。雨はコンクリートで乾いた新宿に潤いと艶を与える。雨は都会の化粧水。人の砂漠に病んだ雪野にとって、雨の言の葉の庭はオアシス。川になった日本庭園を渡ると、藤棚が見えてくる。
雨は雪に変わる前の水滴。孝雄に「雪」野を連れてくる。そして、孝雄は好きな女性の心の雪を溶かす。ふたりはふたりを待っていた。
雷神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ
東屋の天井に雨が打ちつける。雨はふたりの出逢いへの万雷の拍手、歓喜のタップダンス。
恋は変化する。失うこともある。愛は永遠。愛は不滅。
この東屋から雪野がいなくなっても、孝雄の愛は変わらない。
鳴神の 少し響みて 降らずとも 我は留らむ 妹し留めば
言の葉の庭の雨は、空が淹れてくれたホットコーヒーのようにあったかい。美しいものがそこにあるのではない。美しいと想う心が美しいのだ。
君の名は。

『君の名は。』は高校生の男女の「入れ替わり」を通して「結び」を描いた新海誠の第6作。信州と東京を往復するが、東京の主な舞台は新宿である。
須賀神社(須賀町)
ラストシーンでふたりが結ばれる階段は新宿の須賀町にある。彗星が落下する前、信濃町駅前の歩道橋で瀧と三葉は、互いの携帯に電話をかける。通じないが、近づこうとするふたりの意志を表したシーン。
新海誠が神社を選んだのは縁結びや三葉の出自もあるが、須賀神社は三葉が瀧に逢いに東京へ飛び出したときに一度来ている。階段の真ん中に手すりがあるのはカタワレどき。だから須賀神社を選んだのだろう。
瀧や三葉はすでに過去の記憶を失っているが、魂が覚えていた。車窓から瀧に気づいたのも三葉であり、瀧は三葉に導かれる。『君の名は。』のリードヴォーカルは三葉。
なぜ新海誠は、ふたりを階段で結んだのか。階段は乗り物では上がれない。自分の足で登っていかなければいけない。そこには意志が存在する。ふたりは自らの運命を駆け昇るクライマー。他者にとっては「なんでもないや」の場所でも、新海誠は重要な舞台に設定する。そこに主人公たちの運命を委ねる。新海誠は自己の無意識と対話しているから、見た目のキレイさではなく、時空と重力を捉えることごできる。
一度はすれ違うも、振り向いた瀧と三葉は共に涙を流し「君の名前は」と叫ぶ。そこに「?」はない。名前は聞かなくても互いに分かっている。あるのは「。」という意志の句点である。
ラ・ボエム(新宿御苑)
須賀神社から新宿のアパートに戻る途中で立ち寄ったのがラ・ボエム。言の葉の庭(新宿御苑)の眼の前にあり、瀧がアルバイトしていたイタリアン・カフェ。
三葉の高校の先生が雪野であるように、新海誠は前作の襷(たすき)をつなぐ。映画を完結させない。未完の尊さを知っている。
三葉は瀧の学園生活に加え、ラ・ボエムでのアルバイト生活を体験する。本作で描かれる時間は瀧より三葉のほうが長い。オープニングも三葉から始まる。
ラ・ボエムは、飛騨でカフェに憧れる三葉の憧憬そのもの。口噛み酒によって瀧と三葉はつながるように、新海誠は食べ物を「結び」として使う。
そして、ラ・ボエムは奥寺ミキが働く場所。デートのあと奥寺は瀧の夕食の誘いを断ることで「結び」を拒否する。ラ・ボエムは奥寺そのものであり、奥寺がいなければ、三葉は瀧に逢いに東京へ飛び出していない。ふたりを結ぶ最も大切な場所。ラ・ボエムは『言の葉の庭』の東屋なのだ。
新都心歩道橋(西新宿)
夜の帳が下り、新都心歩道橋に向かった。ここは社会人になった瀧と三葉が初めてすれ違う場所。
何度も登場した四谷の歩道橋ではなく、西新宿に移動したのは新章の始まりを示唆している。新海誠が描く景色には必ず言葉がある。我々はそのメッセージを受け取り、魂を咀嚼する。
テッシーとサヤちんが結婚式の打ち合わせをするのは、歩道橋下のエクセルシオール カフェ 新宿損保ジャパンビル店。糸守の町を失った住人は”新しい宿”である新宿に集う。ここから新しい人生を生まれ直す。いかに新海誠が新宿を愛しているか。この街が孕む力を信じているか。新海誠の作品はすべて「此処ではないどこか」の物語。
新宿警察署裏(西新宿)
『君の名は。』はオープニングが2度ある前衛的な作品。『夢灯籠』の30分後に『前前前世』が流れ、第2章の幕が開ける。そのとき描かれるのが、新宿警察署裏の交差点。夜明け前の西新宿、センタービルとモード学園タワーの奥から日が昇り、世界が目を覚ます。「新しい物語を宿す街」新宿にふさわしい旋律。『前前前世』は宣戦布告のファンファーレである。そして、この場所は十字路であり、多くの人生のクロスロード。どのベクトルに向かうは自分次第。新海誠はたった数秒の映像の中に『君の名は。』の核となるメッセージを宿している。その一歩は自分の意志で踏み出していますか?
天気の子
新海誠の映画で唯一、東京のみが舞台の映画。帆高が神津島から東京に逃れて漂流する街が新宿。
歌舞伎町
神津島から脱出した帆高が向かったのはネオンの街、歌舞伎町。眩い光を求めた帆高にとって、荒廃した砂漠の黄金宮殿になるはずだった。しかし、令和の都会はすでに高齢化し、若者の夢や野望を受け止める力は失っていた。
都会で最も人に溢れる歌舞伎町は、自分の欲望の面倒を見ることで精いっぱい。孤独な少年に構う余裕はなく、雨のように冷たい人情で帆高の孤独が深まる。歌舞伎町に来たのは帆高の意思だが、雨に呼ばれたとも言える。神津島から抱えてきた『ライ麦畑でつかまえて』は崖から落ちそうになる子どもをキャッチしようとする話。大人たちの欲望に塗れた歌舞伎町は、ライ麦畑そのもの。そして、帆高は歌舞伎町の闇に堕ちかける陽菜をキャッチする。帆高はホールデン・コールフィールド。物語の終盤、今度は人柱になろうした陽菜も帆高はキャッチする。『天気の子』は日本版『ライ麦畑でつかまえて』なのである。
西武新宿前のマクドナルド
陽菜からもらったビッグマックを食べた帆高は「僕の16年の人生で、あれがいちばん美味しい夕食だったと思う」と語る。新海誠は食べ物の扱いが世界一うまい映画監督だ。
帆高のセリフには、温かい家庭に恵まれなった境遇と、温かい一夜の恩によって陽菜を救おうとする両極が込められている。たった一言のセリフに新海誠はプラスとマイナスのふたつの心を宿した。新海誠は誰よりも知っている。この街では何度でも自分を生まれ直せることを。 新宿は敗者復活の街であることを。
新海誠の映画レビュー集を出版しました

新海誠監督ご本人も気づかなった作品の深淵に迫った映画レビュー集です。























