
『無法松の一生』は、1943年に公開された日本映画。原作は岩下俊作『富島松五郎伝』。北九州・小倉を舞台に、喧嘩っ早い人力車夫・富島松五郎の、生々しい体温と、その最期までを描く。
スタッフ

- 監督:稲垣浩
- 脚本:伊丹万作
- 原作:岩下俊作
- 製作:中泉雄光
- 音楽:西悟郎
- 撮影:宮川一夫
- 編集:西田重雄
- 製作:大映京都撮影所
- 配給:映画配給社(紅系)
- 公開:1943年10月28日
- 上映時間:99分(現存78分)
シナリオ化された当初の題名は『いい奴』だった。
松五郎が大尉夫人に密かな愛情を告白する場面などが、内務省の検閲によって削除され、戦後もGHQにより一部が切除されている。無法者が主人公であること、賭博の描写、喧嘩の場面、そして軍人の未亡人に対する一方的な恋情といった要素は、内務省から「好ましからず」との注意を受けた。
実際に切除された箇所は、以下の4点。
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松五郎と将棋を指していた僧(ぼんさん)が、松五郎と未亡人との関係を邪推し、松五郎を指さして笑う場面(9秒)
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居酒屋で熊吉が松五郎に嫁をもらうことを勧められるも断る場面、および松五郎が壁に掲げられた美人画のポスターをもらう場面(2分37秒)
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松五郎が未亡人に想いを告白する場面、居酒屋で酒を飲む場面、そして雪の中に倒れる場面(7分50秒)
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松五郎の生涯が走馬灯のように回想される場面の中で、夫人の顔が大写しになる箇所(7秒)
これらの削除部分は、合計で10分43秒に及んでいる。
ラストで松五郎が走馬灯のように過去を振り返る場面は、撮影監督・宮川一夫による高度な撮影技法によって生み出された。宮川はカメラからフィルムを取り出さず、「撮影 → 巻き戻し → 再撮影……」という工程を繰り返す多重露光を用いることで、この幻想的な映像表現を実現している。
キャスト

- 富島松五郎:阪東妻三郎
- 結城重蔵:月形龍之介
- 夫人よし子:園井恵子
- 吉岡小太郎:永田靖
- 吉岡敏雄:川村禾門
当初、新興キネマでは市川右太衛門主演での企画があり、東宝でも大河内傳次郎主演による映画化が検討されていた。しかし、人力車夫を主人公とする物語は東宝の看板路線には合わないという理由から、いずれも実現には至らなかった。
稲垣浩は、『江戸最後の日』(1941年)で主演を務めた阪東妻三郎に、松五郎役を依頼する。阪妻は、申し出を断ったが、稲垣はあきらめず、何度も出演を打診した。その折、阪妻は稲垣に向かって「命を賭けてもやるつもりか」と問いかけたという。稲垣がそうだと答えると、阪妻は「よろしい、私も命を張ろう」と応じ、起用が決まった。
阪妻は役作りにも徹底していた。実際に自分で人力車を引き、役柄を工夫し、撮影期間中だけでなく日常生活でも車夫の暮らしを真似て過ごしたという。
一方、吉岡夫人役については、当初、水谷八重子が候補に挙がっていたが、公演の予定があったため断念することになった。続いて東宝の入江たか子に白羽の矢が立つが、東宝では入江と大河内傳次郎の主演で『無法松の一生』を製作する計画もあったため、貸し出しを断られ、こちらも実現しなかった。
次に、結婚して宝塚歌劇団を退団していた小夜福子に出演を依頼する。しかし、小夜は妊娠中で、すでにお腹もかなり大きくなっており、出演を辞退せざるを得なかった。それでも小夜は、「もし、ほかに候補の方がなかったらと思って、この人を連れてきたのです。私よりもピッタリだと思いますけど」と語り、自身の宝塚時代の下級生にあたる園井恵子を稲垣らに紹介した。稲垣は園井について、「まるでこの役をやるために生まれてきたような人だった」と評している。
あらすじ

明治30年、北九州・小倉。無法松と呼ばれる人力俥夫・松五郎は、喧嘩と博奕で名を馳せる荒っぽい男だ。だが、土地の顔役・結城重蔵の前では不思議と素直に頭を下げる。乱暴者でありながら、筋と情を捨てきれない男でもある。
ある日、堀に落ちた少年・敏雄を助けたことで、松五郎は陸軍大尉・吉岡小太郎の家と縁ができる。しかし大尉は急死し、未亡人よし子と敏雄が残される。よし子は気の弱い息子を案じ、松五郎を頼る。松五郎は二人に献身的に尽くしていく。
敏雄が成長するにつれ、松五郎との距離は少しずつ離れていく。祇園太鼓の日、松五郎は山車に乗り撥を取り、町に響く太鼓を打ち鳴らす。だが数日後、よし子への思慕を言いかけた松五郎は、「ワシの心は汚い」と言い残し、彼女のもとを去る。やがて酒に溺れ、雪の中で倒れて死ぬ。遺品には、よし子と敏雄名義の預金通帳と、手を付けていない祝儀が残されていた。

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映画レビュー:無法とという美徳─世界に馴染めない立派さ

『無法松の一生』を「乱暴者の美談」として観てしまうと、映画の苦さを取り逃がす。松五郎は喧嘩っ早い。だが、本質は暴力ではない。もっと単純で、もっと救いがない。「うまく生きられない」ということだ。
松五郎は、世渡りの言葉を持たない。礼儀の型も、恋の型も、身分の型も、借り物のようにしか着られない。だから身体でしか語れない。人力車を引く力、殴り合いの勢い、太鼓を叩く腕。阪妻の松五郎は、言葉が足りないぶん、身体の熱がそのまま人柄になる。
吉岡家との関係も、最初から“幸福な縁”として始まらない。松五郎が助けたのは少年であり、その後に生まれるのは恩義よりも、頼られることで生まれる居場所だ。松五郎はよし子と敏雄の近くにいることで、初めて自分の粗暴さが「役に立つもの」へ変わる瞬間を知る。守る、運ぶ、見張る、笑わせる。喧嘩の腕さえ、家族を守る盾に変わる。人は、必要とされると生きていける。
だが時間は残酷だ。敏雄が成長し、進学し、よそから先生を連れて帰省するころ、松五郎は「役目」を失い始める。子どもが大人になっていくのは喜ばしいことだが、松五郎にとっては、自分がこの家に存在する理由が薄れていく過程でもある。近づきたかったのに、近づくほど遠ざかる。家庭とは、外の人間にとってそういう場所でもある。
小倉祇園太鼓の場面。松五郎は太鼓を叩き、町中に音を響かせる。太鼓は、うまく言えない心をそのまま音に変えてくれる。松五郎が何を抱えてきたか、何を言い出せずにいるかを、太鼓だけが代わりに叫ぶ。あの高揚は、単なる祭りではなく、松五郎の魂の放電になっている。
無法松は、未亡人への告白の直前で引き返す。これは、松五郎なりの“線引き”でもある。よし子を汚したくない、吉岡家の空気を壊したくない、という善意もある。それ以上に、自分の気持ちを、正しい形に整えて差し出すことができない。整えられない感情は、出した瞬間に迷惑になる。松五郎はそれを知っている。だから飲み込む。飲み込んだものは、酒でしか流せない。
松五郎の遺品に残る通帳と祝儀。最後に守ったのは、相手の生活の安定であり、自分が入り込まないという聖域だった。その清さは報われない。
ラストの走馬灯の回想。松五郎の人生もまた、ひとつの出来事が次の出来事に重なり、解けないまま残っていく。喧嘩、情、照れ、献身、憧れ、引き返し。どれも単独では説明できない。重なり続けた結果として、松五郎という人間ができている。
『無法松の一生』は、世界の“きれいな物語”に入れない人間が、それでも誰かを大事にし、雪の中に溶けていく話である。立派であろうとした男が、その立派さを貫くために、去るしかなかった物語である。
松五郎は、不器用だった。感情を整える言葉を持たず、社会の型にも収まらず、愛を正しい形で差し出す術も知らなかった。
松五郎が最後に選んだのは、報われる愛ではない。そばにいることでも、告白することでもない。自分が消えることで、相手の世界を守るという選択だった。
それは逃避ではない。ましてや敗北でもない。自分の不器用さを知り尽くした男が、最後に辿り着いた、唯一の誠実さだ。
松五郎は、雪の中で静かに人生を終える。逃げたのではない。完成したのだ。不器用さのまま、誰かを守ろうとした。その“うまく生きられなさ”を、ひとつの人間の光として映している。

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映画レビュー:回り続ける人生と、止まることで完成する生

『無法松の一生』では、場面の切り替わりに何度も人力車の車輪が回転するアップが挿入される。この反復的な映像は、本作の主題を言葉以上に雄弁に語る、極めて映画的な象徴である。
車輪はそのまま松五郎という人間の生き方を表している。松五郎は、立ち止まって考えることができない男だ。言葉で関係を整理することも、社会の型に合わせて感情を整えることもできない。だからこそ、身体を動かし続けることでしか、自分の居場所を保てない。人力車を引く力、前へ前へと進む運動、その惰性のような生のあり方が、回転する車輪に集約されている。
重要なのは、顔ではなく車輪だけが映されるという点だ。顔を映せば感情になる。車輪を映せば、感情は消え、運動だけが残る。稲垣浩と宮川一夫は、松五郎の内面を説明しない。ただ「この男は、こうして回り続ける存在だった」と示す。その冷静さが、かえって松五郎の立派さを浮かび上がらせる。
物語の終盤、松五郎は雪の中で倒れる。そこには、もう回る車輪はない。回り続ける人生と、止まることで完成する生。前半で反復される車輪の運動と、ラストの静止した雪景色は、明確な対比をなしている。松五郎は、回り続けるしかなかった人生を、止まることで終えた。
『無法松の一生』における車輪のアップは、松五郎の身体的な生き方、戻れない時間を無言で語る、極めて純度の高い映画的表現である。
車輪が回っている限り、松五郎は生きている。車輪が止まったとき、松五郎の人生は完成する。

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