
『言の葉の庭』は、2013年に公開された新海誠監督の46分の中編作品。靴職人を志す高校生・秋月孝雄と、心に傷を抱えた女性・雪野百香里が、雨の日の新宿御苑で偶然出会い、言葉を交わしながら心を通わせていく。特に雨の描写が高く評価され、「雨の映画」として名を馳せた。主題歌には秦基博の「Rain」を起用し、作品を象徴する要素となっている。
スタッフ
- 監督:新海誠
- 脚本:新海誠
- 原作:新海誠
- 製作:川口典孝
- 出演者:入野自由、花澤香菜
- 音楽:KASHIWA Daisuke
- 主題歌:「Rain」(歌:秦基博)
- 製作:コミックス・ウェーブ・フィルム
- 配給:東宝映像事業部
- 公開:2013年5月31日
- 上映時間:46分
あらすじ
東京の梅雨。靴職人を夢見る高校生・秋月孝雄(たかお)は、雨の日は学校をさぼり、新宿御苑の東屋で靴のスケッチを描いていた。そこで偶然出会った年上の女性・雪野百香里(ゆきの ゆかり)。彼女は昼間からビールを飲み、謎めいた和歌を口にする、不思議な女性だった。
名前も素性も知らないまま、雨の日だけの逢瀬を繰り返す二人。言葉は少なくとも、雨の中で過ごす時間が二人の心を少しずつ近づけていく。しかし、やがて孝雄は、雪野が自分の高校の教師であることを知る。職場でのトラブルにより、心の拠り所を求めて公園に足を運んでいたのだった。
孝雄は、雪野のために靴を作ることを決意する。それは、雪野が再び歩き出すための贈り物。しかし、梅雨が明けるとともに、二人の関係も終わりを迎えようとしていた。
映画レビュー
劇場5作目。英題は『The Garden of Words』。色は楓(新緑)
これまで新海誠の作品は「大きな移動」がテーマだった。宇宙へ、他県へ、地底へ。しかし、本作は新宿御苑から移動しない。これは一見、心を閉ざし動けない雪野の心に見えるが、雪野も孝雄も小さな移動をしている。

雨の日に家にひき籠らず街へ出る。入園料まで払って東屋に来る。それはほんの一歩かもしれないが、運命を変える一歩。

ふたりを結ぶのは「雨」と「靴」。雨はひとを一箇所に止まらせる。動かないからこそ揺れる心がある。雨によってふたりは逢える。雨がふたりを見守る。
雨は都会に化粧をする。無機質なコンクリートジャングルに艶と潤いを与える。だから新宿には雨が似合う。雨は"雪"に変わる前の水滴であり、雪野を連れてくることを示唆している。
新海誠は雨のルールと対話しながら、雨の秩序を尊重しながら、言の葉の庭を作ったのだろう。
靴は移動するための道具。そこから一歩踏み出すための象徴。場所を新宿御苑だけに固定することで、この2つを浮かび上がらせている。

主題歌が秦基博が歌う『Rain』。15歳の孝雄にはふさわしくない。もっと年齢や人生経験が多い男性の歌である。しかし、雪野のために靴を作ることで大人に近づこうとする孝雄とシンクロする。歌が孝雄の未来を見守っている。

15歳の秋月孝雄と27歳の雪野 百香里。月と雪。影と陰。新宿御苑に、まばゆい光が当たる。新海誠の遠距離は「年齢差」という形で息吹いている。孝雄の姓には「秋」があり、「雪」を追いかけている。初めて出逢った日、雪野は孝雄に和歌を詠む。
鳴る神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ
どうして初対面の男性に、しかも雪野から見れば子どもの孝雄に詠んだのか。きっと人を遠ざけて東屋に避難しながらも、どこかで自分を救ってくれる存在を待っていたのだ。独りでは歩き出すことができない。雪野からのSOS。

朝は1日を始める時間だが、2人の時間は始まりそうで始まらない。雨音とピアノの和音だけが時を奏でる。雨をまとった葉はふたりの心のように、みずみずしい。雨は不思議な存在だ。雨だから外出しない。雨だから運動しなくていい。雨は昔から何かを許し、包み込む存在。

新宿御苑の小さな東屋は相合い傘となり、雨を愛おしくさせる。逢えるのは空が灰色のときだけ。雨は好きな人を連れてくれる赤い糸。
それでも、ふたりの恋心は雨のように透明。

孝雄は雪野に靴を作る。一歩踏み出すための靴を。しかし、靴を作ることは雪野を自分から遠ざけることを意味する。おそらく孝雄は直感的にそれを感じている。それでも、孝雄は靴を作る。それが今の自分を卒業することだから。今作は、ある意味で孝雄の卒業式の映画とも言える。
孤悲を卒業し、愛に向かう物語。

心と味覚を閉ざしていた雪野は、孝雄の料理によって扉を開ける。真心が込められた食べ物は、内側から雪野を修復していく。

雨はいつかやむ。それはふたりの別れの時を示唆している。孝雄に惹かれながらも四国へ戻らなければ前に進めない。雪野は想いを歌いながらも、やがては離れていく額田女王。

雪野は動く。飛び出す。孝雄の告白がなければ、帰郷しても雪野はなにも変わらなかった。ますます、引きこもっていた。雪野を変えたのは雪野を想う孝雄の心。
鳴る神の 少し響みて 降らずとも 我は留まらむ 妹し留めば

雪野は靴がなくても歩けると言うが、その足は孝雄の靴を待っている。いつか孝雄が雪野のためにつくった靴を届けに来てくれることを。

雨の季節が終わり、冬が訪れると雪野は新宿御苑を去る。男は月。女という太陽がいるから輝く。満月はゼロの形。男はすべてを失うとき、最も輝きを放つ。

東屋に雪野はいないが、そこに雪野の面影は降り積もっている。

孝雄は東屋にそっと靴を置く。あの夏、言の葉の庭でつながっていた楓の葉を添えた靴を。雪野はひとりで歩き出せた。愛媛に戻り再び教師として生きている。
孝雄は心の靴を渡せた。そしていつか、本当の靴を届けに、今度は新宿を飛び出し、孝雄は雪野に逢いに行く。
『言の葉の庭』というタイトル

『ほしのこえ』で25分の万葉集を詠んだ新海誠は、46分の古今和歌集を歌い上げた。
言の葉の庭。なんと美しい響き。「言の葉」は和歌。雪野が孝雄に詠む短歌と、孝雄が雪野に詠む返し歌の足音。美しいメロディのような作品をタイトルが証明している。
孝雄は雪野が歩き出すための靴を作ることで万葉の時代の「孤悲」から「愛」へ卒業していく。孝雄が愛を知るための卒業式。
タイトルが場所の名になっているのは『雲のむこう、約束の場所』と今作のみ。新海誠は新宿御苑と、相合傘である東屋を慈しむ。
これまで「移動」がテーマであった新海作品と違い、新宿御苑という小さな宇宙で物語を紡ぐ。距離は短くとも、ふたりは雨の日に家を出る。12歳の年齢差を少しずつ縮めていく。
『言の葉の庭』は孝雄と雪野の未来を見守るタイトル。いつの日か、言の葉の庭で再び出逢うために。
『言の葉の庭』の玉子サンド&オムライス

食は「人」を「良くする」と書くが、心を閉ざし、味覚を失った雪野の内面を修復するのは孝雄が作ったタマゴサンド。

孝雄は家庭でも料理担当であり、千駄ヶ谷の中華料理屋でアルバイトしている。

孝雄は心の医者。雪野の部屋でもオムライスをつくる。玉子サンドから少し豪華な卵料理へ。

そして、自身は殻を破って少年から脱皮し、雪野に近づこうとする。

玉子サンドからオムライスへ。卵から卵へ。孝雄は階段を登る。いつもこころにオムライス。
言の葉の庭に降る「雨」

新海誠の作品で雨といえば『言の葉の庭』
世界中に存在する芸術の中で、今作ほど雨を秀逸に描いたアートは存在しない。歌川広重『東海道五十三次』も、ショパン『雨だれ』もジーン・ケリー『雨に唄えば』も、新海誠『言の葉の庭』には遠く及ばない。
ひとは雨の日、外を見てなにかを想うが、孝雄と雪野は雨の日に移動をした。ココロとカラダを動かした。雨の日にだけふたりは逢える。やむのを願うのではなく、雨が降ることを願う。

「雨に宿る」と書いて雨宿り。新宿御苑の東屋はふたりだけの相合い傘。雨はなにかを宿らせる。孝雄と雪野は雨によって出逢う。運命という名の傘をさす。雨はふたりのサボりを静かに見守る。許す。
雨は都会に化粧をする。無機質なコンクリートジャングルに艶と潤いを与える。だから言の葉の庭には雨が似合う。雨は雪に変わる前の水滴であり、孝雄のもとに「雪」野を連れてくる。
雷神の 少し響みて さし曇り 雨もふらぬか 君を留めむ

秦基博が歌う『Rain』は15歳の孝雄には大人びている。しかし、雪野のために靴を作ることで大人に近づこうとする孝雄と見事にシンクロする。歌が孝雄の未来を見守る。新海誠にとって、雨は音楽なのだ。
『言の葉の庭』の服

『言の葉の庭』で最も重要な衣装は靴だが、服にもメッセージがある。ずぶ濡れになったふたりは新宿御苑の東屋から雨宿りの場所を移し、雪野の部屋に行く。

そこで雪野のTシャツを着る孝雄。ふたりは口づけも身体も交わらないが、服を通して互いを温め合う。
学生服を着た生徒と先生ではなく、ようやく対等の男女になれた瞬間。だから孝雄は雪野に告白する。最初は戸惑い、本心を隠していた雪野も心の靴を脱ぎ捨て裸足で孝雄を追いかける。白Tシャツは自由と解放のメッセージである。
『言の葉の庭』の音楽
ピアノ音は波紋であり、孝雄と雪野の一歩。雨の音より雪の音に近い。雪野に捧げる曲であり、孝雄からの応援歌にも聞こえる。
風もない、光もない。邪魔者はいない。純度の濃い雨音。宇宙からの贈りもの。どう考えても新宿に似合わない音なのに、新宿以外に考えられない。
Amazonプライムで観る:『言の葉の庭』
言の葉の庭の舞台を巡る
ほしのこえを聴きに
雲のむこう、約束の場所の舞台を巡る
秒速5センチメートルの舞台を追う
星を追う子どもをつかまえに
君の名は。を逢瀬する
天気の子を見上げる
すずめの戸締まりを旅する
彼女と彼女の猫を巡る
新海誠 もうひとつの世界
新海誠と新宿
新海誠の映画レビュー集を出版しました

新海誠監督ご本人も気づかなった作品の深淵に迫った映画レビュー集です。