
映画より映画館のファンだ。生まれ育った桜井市(奈良県)の地元には映画館はなく『ドラゴンボール』『ドラえもん』『ルパン三世』の新作が公開されると桜井市民会館に足を運んだ。スクリーンの緞帳(どんちょう)には、大和の古地図が大きく描かれ、タイムスリップしたような魔法にかけてくれた。銀幕の暗闇に飛び込み、放たれる光が自分を生まれ直してくれた。小さな箱を出て日常に帰るときは違う人間になっている。
映画館は「どこでもドア」。外国にも宇宙にも行ける。映画館は「タイムマシン」。太古にも未来にも行ける。だから映画はテレビやPCではなく劇場で観たい。

2019年、埼玉にある『深谷シネマ』を知ったのは偶然だった。廃業した300年の酒蔵を映画館に改修。元禄の建物をミニシアターとして令和につなぐ映画館。1年前に見逃したジョニー・デップの『グッバイ・リチャード!』の上映館がないかfilmarksで探すとヒット。新宿からはJR高崎線で約1時間半。往復3時間で2,600円。移動のほうが上映時間より長く、チケット代より高い。

深谷市は大河ドラマ・新1万円札のモデルである渋沢栄一の出身地。駅や町は煉瓦造りが多く、どこか異国情緒がある。

民家の玄関に埴輪があったり、県道のなかに突然「ふっかちゃん横丁」が出現したり。砂漠のなかの黄金城のような不思議な町。

酒蔵をシアターにする突飛な発想といい、町自体が面白い。映画館まで歩いていると酒屋が多いことも分かる。酔っ払いが多いのか、右脳が発達しているのか。故郷と匂いが似ている。もう少しで映画館というところで大粒の雨が降ってきた。傘を置いてきたけどアクシデントも映画館に足を運ぶ楽しさ。帰りに雨が降っていても、映画が良ければ傘が無くても駅まで歩ける。それがシネマの魔法。

2010年にできた深谷シネマは、意外と言っては失礼だが思ったより綺麗だった。入館すると奥から40代くらいの男性が出てきた。ボランティアだろうか。

チケットは1,200円と控えめ。ちゃんとパンフレットが置いてあるのがうれしい。これから観る『グッバイ!リチャード』を買う。

待合室には映画に関する書籍やパンフレットが並ぶ。来館した映画監督や女優のサイン色紙も自由に手に取ることができ、大林宣彦や木村大作、片桐はいりなどメッセージ付きの色紙が温かい。何より眼を引いたのが吉永小百合。

1字1字が美しい。サインを超えた手紙。深谷シネマのために書かれたものだが、素晴らしい手紙は第三者の心も打つ。吉永小百合の愛情を受けた深谷シネマは、これだけでこの世に生まれた意味がある。

観客は3人。もちろん赤字経営。有志による基金で成り立っている。予告編が10分。シネコンの予告編はうるさいだけの大作が多くてうんざりするが、選りすぐりの作品を選んでいるから愉しい。20時終了。本来はここからもう1作品の上映があるが、緊急事態宣言のせいで最終上映の時間が短縮されている。非日常は終わり、また日常の世界へと戻っていく。出口では常連客のおじさんがスタッフに「雨あがったね」と話しかけていた。
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