シネマの流星

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『阪妻-阪東妻三郎の生涯』〜走り続けた男が、時代になった

『阪妻-阪東妻三郎の生涯』〜走り続けた男が、時代になった

『阪妻-阪東妻三郎の生涯』は、1980年に完成した日本映画史屈指の俳優・阪東妻三郎のドキュメンタリーである。製作・演出は活弁士の松田春翠。構成とインタビューを、映画評論家の佐藤忠男が担当した。

サイレント時代の名場面を軸に、息子・田村高廣、女優の森静子や環歌子、伊藤大輔、稲垣浩ら関係者の証言を重ねながら、阪妻という存在がどのように生まれ、時代とともに変化していったのかを辿っていく。単なるスター伝ではなく、大正末期から戦後に至る日本映画の歩みを、一人の俳優の身体を通して見つめ直す作品である。

スタッフ

『阪妻-阪東妻三郎の生涯』〜走り続けた男が、時代になった

  • 製作・演出:松田 春翠
  • 構成・インタビュー:佐藤 忠男
  • 撮影:高坂 広
  • 編集:江原 義夫
  • 配給:マツダ映画社
  • 上映時間:91分

キャスト

【出演】

  • 田村 高廣
  • 伊藤 大輔
  • 森 静子
  • 稲垣 浩
  • 環 歌子
  • 久世 竜

【ナレーター】

  • 松田 春翠
  • 澤登 翠

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レビュー:走り続けた身体が、日本映画を前へ押した

『阪妻-阪東妻三郎の生涯』〜走り続けた男が、時代になった

スターを知ることは、時代を知ることでもある。スターとは、個人の才能や魅力の総体である以前に、「その時代が何を求め、何を許容し、何を夢見ていたか」を一身に引き受ける存在。観客はスターを通して、自分たちの欲望を確認し、時代の速度や価値観を共有する。スターの身体や振る舞いが変わるとき、それは個人の変化ではなく、社会の感受性そのものが変わった証でもある。

阪東妻三郎は、その媒介として機能した俳優だった。剣戟スターとして求められたのは、勧善懲悪の型ではなく、画面を突き破るような運動量だった。それは、大正末期から昭和初期にかけて、都市化とスピードを獲得しつつあった日本社会の推進力と一致している。観客が阪妻の「走る身体」に熱狂したのは、そこに自分たちが生きている時代のリズムを見ていたからだ。

さらに重要なのは、阪妻がその役割に固執しなかった点である。トーキー化、戦時体制、戦後の価値観の変化。そのたびに、阪妻は「スター像」を更新し、荒々しさから渋みへ、動の身体から内面を含んだ身体へと移行していく。この変化は、俳優個人の成熟であると同時に、日本映画が何を語るメディアへ変わっていったかを、そのまま映し出している。

阪東妻三郎を辿ることは、日本映画が「見世物」から「表現」へ、「型」から「人間」へと移っていく過程を辿ることである。スターの変化は、常に時代の要請と不可分であり、その身体は歴史の感触を最も敏感に記録する装置なのだ。

時代の変化に翻弄されながらも、その都度、自らの身体と表現を更新し続けた、一人の表現者の軌跡である。

『阪妻-阪東妻三郎の生涯』〜走り続けた男が、時代になった

1923年に起きた関東の大地震以後、日本の文化と娯楽は大きく舵を切った。旧来の様式美は揺らぎ、観客はより速く、より激しく、より身体的な表現を求め始める。その変化の渦中にいたのが阪妻だった。走り、跳び、転び、画面を横切る。その身体の速度そのものが、新しい時代のリズムを先取りしていた。

やがて、トーキーの時代になり、立ち廻りは洗練され、役柄は荒々しさから渋みへと移ろっていく。若さで押し切る身体から、時間の重みを引き受けた身体へ。本作は『無法松の一生』や『王将』の場面を通して、その変化を示す。衰えではなく、更新。技巧ではなく、体験の蓄積が、画面に滲み出る。

とりわけ印象的なのは、晩年の阪妻を捉えたホームムービーだ。そこにいるのは伝説のスターではない。子どもと遊ぶとき、子ども以上にはしゃぎ、笑い、身体を投げ出す一人の父親である。その「童」の気配は、観客に親しみやすさを生むと同時に、大人の常識に収まりきらないスケール感をもたらす。観る者は気づく。阪妻の魅力の根には、技巧や威厳の前に、この屈託のない大きさがあったのだと。

遺作『あばれ獅子』の優しくひょうきんな勝小吉が「最も素顔に近い役だった」という言葉が腑に落ちる。完成された像に安住せず、時代が変われば自分も変わる。その変化を恐れず、引き受け続けた生き方は、日本映画そのものの歩みと重なっている。

阪東妻三郎は、日本映画を背負った英雄としてではなく、走り続けた一人の人間としてここにいる。本作は伝記を超え、日本映画が生き、変わり、前へ進んできた時間そのものを手渡してくれる。

スターを知ることは、時代を知ることでもある。この映画は、その事実を、身体の記憶として映画ファンに刻み込む一本だ。

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阪東妻三郎の傑作映画