『ドライブ・マイ・カー』『偶然と想像』に続いて濱口竜介は問題作と秀作が一体になった映画を届けてくれた。すなわち令和の大傑作。
この映画を左脳で語るのは愚の骨頂。理屈などいらない。そもそも「悪は存在しない」というタイトルが破綻しているのだから。この世の摂理に反しており、主人公の最後の行動は紛れもなく悪。
今作のタイトルは「悪意は存在しない」が正確だが、「意」を剥ぎ取った濱口竜介の凄さ。意味などいらない、意義などいらない。まさに映画で表現して欲しいこと。
オープニングは信州の雪山を歩く自分の視点そのもの。八ヶ岳に登るとき、いつもアイゼンで雪を噛み、木々を見上げならが歩く。そこは秒針のない時空。濱口竜介は風景ではなく空白を獲得する。時間の重力を捉える。山の沈黙を奏でる。
途中の会話劇の左脳からラストの右脳へ。世阿弥の序破急。キラー猪木のチョークスリーパー。大真面目にラストの伏線を回収している人間に濱口竜介は舌を出している。答えを求める考察左脳人間にチョークスリーパー。拍手喝采。
P.S.悪は存在しないを観た師匠は「少女は死んでいない。恍惚、エクスタシーの表情。美しい本物の鹿を見てオルガスムスを覚えた。性への目覚め。男はチョークスリーパーで失神。SEX中に逝く。その失神。濱口竜介は女と男の子となる失神を描いている。タイトルの悪は存在しないは、ふたりとも死んでいないからだ」と言った。