スタッフ
監督・脚本・製作・編集:チャーリー・チャップリン
撮影:ローランド・トザロー
製作・配給:ファースト・ナショナル・ピクチャーズ
公開:1919年12月15日(米)/1920年8月(日本)
上映時間:18分
キャスト

父:チャーリー・チャップリン
母:エドナ・パーヴァイアンス
末っ子の男の子:ジャッキー・クーガン
船長・警官など:ヘンリー・バーグマン
その他の出演:トム・ウィルソン、ベイブ・ロンドン、高野虎市
あらすじ

父親(チャップリン)は妻と二人の子どもを連れ、久々の家族行楽に出かける。古びたフォード車は動かず、交差点では警官と衝突。やっと船に乗れば、今度は激しい揺れで乗客全員が船酔いし、混乱が続く。下船後もトラブルは止まらず、椅子は壊れ、タールにはまる。楽しいはずの一日は、終始ドタバタと混乱に満ちたものになる。しかし、夕暮れ、車の中で家族が寄り添うとき、そこには一抹の安らぎが残る。
映画レビュー:『一日の行楽』〜うまくいかない日の優雅な練習

“幸福”という摩擦
『一日の行楽』は、チャップリンの映画の中でもっとも“小さな冒険”を描いた作品である。犯罪も革命もない。あるのは、休日を楽しもうとする一家の努力と、その試みを次々と裏切る世界だけ。この短編こそ、チャップリンの思想の核が露わになった瞬間でもある。
主人公は放浪者ではない。家を持ち、家族を持ち、車を持っている。“定住した幸福”の象徴だ。チャップリンは、その幸福がどれほど不安定で、外界の偶然に晒されやすいものかを笑いの中で暴いていく。エンジンはかからず、信号は誤解され、船は揺れ、地面は滑る。ここで繰り返されるのは、人間が「コントロールしようとする力」と「世界の偶然性」との終わりなき摩擦である。
チャップリンはこの摩擦を、悲劇ではなくリズムとして描く。車を押す手、椅子を直す手、靴をタールから抜こうとする足。失敗がリズムを生み、リズムが笑いを生む。幸福とは、うまくいくことではなく、うまくいかない中でなお動き続ける身体のリズムに宿る。
“行楽”とは英語でいう pleasure、つまり「喜び」だが、チャップリンにとって喜びは感情ではなく運動の形である。車が止まり、椅子が壊れ、タールにはまる。そのすべての不具合が、むしろ人間を世界に結びつける。秩序の外にこそ、生命のリズムは鳴る。
この映画が撮影された1919年は、第一次世界大戦が終わった翌年であり、アメリカが“平和と繁栄”の夢を取り戻そうとしていた時期だった。チャップリンは、平和の象徴である家庭や余暇の中に、依然として残る不安定さを見抜いている。戦争が終わっても、人は依然として世界と衝突し続ける存在である。戦争の惨禍を笑いに変えるのではなく、日常の不調和を笑いに変えた。
わずか18分の短編は、文明の象徴である自動車、客船、産業の象徴であるタール、そして自然の象徴である海を舞台に、人間と世界の関係を縮図的に描く。技術も自然も、完全には人の思うようにはならない。だからこそ人間は“笑う”ことができる。笑いとは、世界との摩擦を受け入れる最も優雅な知恵である。
チャップリンの動きは機械のようでいて機械ではない。それは、世界に巻き込まれながらも、なお主体であろうとする人間の姿そのものだ。身体は、コントロールを失うたびに美しくなる。すべての失敗は、自由のための練習なのだ。
『一日の行楽』は、大作『キッド』の影に隠れがちな小品だが、そこにチャップリンの核心がある。幸福とは、“うまくいく日”ではなく、“うまくいかない日を笑いに変えること”なのだ。
人は世界を完全に制御することはできない。だが、足をタールに取られたままでも、笑うことはできる。チャップリンの映画を観ることは、その笑いを通して、世界と和解するエチュード(練習)なのだ。