シネマの流星

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『タワーリング・インフェルノ』〜高く建てすぎた夢に、逃げ道はあったのか

『タワーリング・インフェルノ』〜高く建てすぎた夢に、逃げ道はあったのか

『タワーリング・インフェルノ』(原題:The Towering Inferno)は、1974年に公開されたアメリカ映画。ワーナー・ブラザース映画と20世紀フォックス映画という二大スタジオが手を組んだ、当時としては破格のスケールを誇るパニック映画である。

地上約550メートル、138階建ての超高層ビル「グラスタワー」が、落成式当日に火災に見舞われ、祝祭の場は一転して炎の地獄と化す。主演は スティーブ・マックイーンとポール・ニューマン。

スタッフ

『タワーリング・インフェルノ』〜高く建てすぎた夢に、逃げ道はあったのか

  • 監督:ジョン・ギラーミン
  • 脚本:スターリング・シリファント
  • 原作:リチャード・マーティン・スターン『そびえたつ地獄』、トーマス・N・スコーティア&フランク・M・ロビンソン『タワーリング・インフェルノ』
  • 製作:アーウィン・アレン
  • 音楽:ジョン・ウィリアムズ
  • 撮影:フレッド・J・コーネカンプ
  • 編集:カール・クレス、ハロルド・F・クレス
  • 配給:20世紀フォックス映画/ワーナー・ブラザース映画
  • 公開:1974年12月14日、1975年6月28日(日本)
  • 上映:165分

監督は『ブルー・マックス』のジョン・ギラーミン、製作は『ポセイドン・アドベンチャー』も手がけたディザスター映画の名手 アーウィン・アレン。音楽を ジョン・ウィリアムズ が担当し、巨大な災厄の中に人間ドラマを刻み込んだ。

題名の「タワーリング・インフェルノ」とは、日本語では「そびえ立つ地獄」という意味。原作はリチャード・マーティン・スターンの小説『そびえたつ地獄(原題:The Tower)』とトーマス・N・スコーティアとフランク・M・ロビンソンの共著『タワーリング・インフェルノ(原題:The Glass Inferno)』の2作品をスターリング・シリファントが1本のシナリオにまとめた。

グラスタワーは、約10mのミニチュアセットが作られ、内部にはガス管が配管され、ガスに着火して火を吹き出させることによって火災を表現。クライマックスでの鎮火シーンも、高圧水管を用いて実際に大量の水を放水した。

キャスト

『タワーリング・インフェルノ』〜高く建てすぎた夢に、逃げ道はあったのか

  • マイケル・オハラハン(消防隊長):スティーブ・マックイーン
  • ダグ・ロバーツ(建築家):ポール・ニューマン
  • ジェームズ・ダンカン(ビル社長):ウィリアム・ホールデン
  • スーザン・フランクリン:フェイ・ダナウェイ
  • ハーリー・クレイボーン:フレッド・アステア
  • リゾレット・ミュラー:ジェニファー・ジョーンズ

スティーブ・マックイーンとポール・ニューマンの共演は1956年の『傷だらけの栄光』以来となる。オープニング・クレジットでは、画面の左下にマックイーン、右上にニューマンの名が配され、優劣をつけないようにした。

あらすじ

『タワーリング・インフェルノ』〜高く建てすぎた夢に、逃げ道はあったのか

サンフランシスコに完成した世界最大級の超高層ビル、グラスタワー。その落成式の夜、地下の発電機トラブルをきっかけに、81階で火災が発生する。

原因は、建設過程で行われた電気配線工事の手抜きだった。設計者のダグ・ロバーツは異常を察知し警告するが、式典の中止を嫌う経営陣の判断は遅れ、火はビル内部を垂直に、そして不可逆的に広がっていく。

消防隊長オハラハンは、現場を見た瞬間に事態の深刻さを悟る。炎と煙に包まれながら、取り残された人々の救出と、ビル全体の崩壊を防ぐための時間との戦いが始まる。

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映画レビュー:成功は、炎に変わる

『タワーリング・インフェルノ』〜高く建てすぎた夢に、逃げ道はあったのか

『タワーリング・インフェルノ』が描いているのは、火災そのものではない。この映画の本当の主役は、「高く積み上げすぎた人間の自信」である。

グラスタワーは、技術と資本の勝利の象徴だ。誰もがそれを見上げ、未来を信じ、完成を祝う。だが、その内部は、すでに脆くなっている。配線は細く、安全装置は形骸化し、責任は分散されている。火は偶然ではなく、必然として生まれる。

火災が進行するにつれて、ビルの「高さ」は意味を変える。最初は誇りだった高さが、次第に逃げ場のなさへと変わる。上に行くほど安全だと思われていた空間が、最も孤立した場所になる。高みとは、守られた場所ではなく、戻れない場所でもある。

興味深いのは、消防隊長オハラハンと建築家ロバーツの関係だ。二人は対立していない。一人は炎と戦い、もう一人は設計図と向き合う。どちらも、「人間の想定を超えた現実」の前で無力であることを知っている。英雄的な台詞よりも、ふたりの顔に浮かぶ疲労が、この映画の真実を語っている。

この映画では、誰も完全に正しくない。経営者は成功を急ぎ、技術者は妥協し、現場は警告を無視する。悪意でそうしたわけではない。効率、予算、体裁、進行。そうした「合理的な理由」の積み重ねが、最終的に人命を脅かす。

炎は罰ではない。炎は、見えなかったものを可視化する装置だ。手抜き、過信、沈黙、先送り。すべてが、煙となって立ち上がる。

終盤、人々は上へ、上へと追い詰められる。だが、上に行っても救いはない。最後に残るのは、「誰を先に助けるのか」「どこで決断するのか」という選択だけだ。この映画が突きつけるのは、技術の限界ではなく、人間の決断の重さである。

『タワーリング・インフェルノ』は、単なるスペクタクルではない。高度経済成長と巨大建築の時代に対する、静かな警告だ。人は、どこまで高く登れるのかではなく、「引き返せる余地を、いつ失ったのか」を問われている。

塔は崩れなくても、信頼は燃え落ちる。この映画が今なお古びないのは、その炎が、現代にも届いているからだ。

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