シネマの流星

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『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』〜孤独の伯爵、石油の吸血鬼、PTAが描く資本主義の黙示録

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』〜孤独の伯爵、石油の吸血鬼、PTAが描く資本主義の黙示録

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(原題:There Will Be Blood)は、2007年公開のアメリカ映画(日本公開2008年)。監督・脚本はポール・トーマス・アンダーソン。原作はアプトン・シンクレアの小説『Oil!』。主演はダニエル・デイ=ルイスで、その鬼気迫る演技はアカデミー主演男優賞を受賞した。

20世紀初頭の石油ラッシュに生きる野心家ダニエル・プレインヴューの成功と孤独を描き、資本主義という吸血鬼の肖像、信仰の衝突を壮大なスケールで描いた作品。音楽はレディオヘッドのジョニー・グリーンウッドが担当し、不穏な響きが物語に圧倒的な緊張を与える。

スタッフ

  • 監督:ポール・トーマス・アンダーソン
  • 脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
  • 原作:アプトン・シンクレア『Oil!』
  • 製作:ジョアン・セラー、ポール・トーマス・アンダーソンなど
  • 製作総指揮:スコット・ルーディンなど
  • 音楽:ジョニー・グリーンウッド
  • 撮影:ロバート・エルスウィット
  • 編集:ディラン・ティチェナー
  • 製作会社:パラマウント・ヴァンテージ、ミラマックスほか
  • 配給:パラマウント・ピクチャーズ(米)
  • 公開:2007年12月26日(米)、2008年4月26日(日)
  • 上映時間:158分
  • 製作国:アメリカ合衆国

キャスト

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』〜孤独の伯爵、石油の吸血鬼、PTAが描く資本主義の黙示録

  • ダニエル・デイ=ルイス(ダニエル・プレインヴュー)
  • ポール・ダノ(イーライ・サンデー/ポール・サンデー)
  • ケヴィン・J・オコナー(ヘンリー)
  • キアラン・ハインズ(フレッチャー)
  • ディロン・フレイジャー(H・W・プレインヴュー)

あらすじ

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』〜孤独の伯爵、石油の吸血鬼、PTAが描く資本主義の黙示録

20世紀初頭のアメリカ西部。石油を夢見る山師ダニエル・プレインヴューは、幼い息子H・Wとともに油田を掘り当て、やがて巨大な成功を収めていく。だが事故でH・Wは聴力を失い、親子の絆は揺らいでいく。土地と資源をめぐる交渉のなかで、若き説教師イーライ・サンデーと対立するダニエル。資本の欲望と信仰のプライドが互いにぶつかり合い、やがて血の結末へと向かっていく。

石油の匂いがする大地、荒野に響く機械音、そして静寂に漂う緊張感。ジョニー・グリーンウッドの不協和音的なスコアが、常に不安と不穏を煽り立てる。物語が進むにつれ、ダニエルの成功はむしろ孤独を深め、彼を人間から怪物へと変貌させていく。

映画レビュー:資本と信仰の血の寓話 、吸血鬼としてのダニエル

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』〜孤独の伯爵、石油の吸血鬼、PTAが描く資本主義の黙示録

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、資本主義と宗教というアメリカの二大原理をぶつけ合い、最後に血と孤独しか残らない話として描き出す。油田に立ち上る黒い噴流は、富の象徴であると同時に大地の血であり、人間の欲望が引き裂いた自然の悲鳴でもある。そこに立つのは石油王ダニエル・プレインヴュー。土地を掘り抜き、血を吸い尽くし、富を自らの力へと変換する存在だ。

ダニエルの姿は、ドラキュラ伯爵そのもの。暗い井戸は棺であり、黒い原油は糧である。吸うのは人間の首筋ではなく、大地の喉笛。土地を食い破り、そこから滴る石油を血液のように吸収していく。豪邸は孤立した城館のように聳え立ち、そこに住むのは人間を超えた「資本の怪物」として暗闇に君臨する。

対するイーライ・サンデーは、神の名を道具にして信者を従わせる偽預言者だ。言葉は光のようでいて、その実は空虚な祝詞に過ぎない。信仰は救済ではなく支配の形式となり、結局は資本の力に呑み込まれる。ラストの惨劇は、資本が宗教を飲み下し、吸血鬼が聖職者を食い殺すという暗黒の話である。

H・Wは唯一ダニエルに残された人間性であった。しかし彼をも追放することで、ダニエルは血のつながりさえ切り捨て、完全なる孤独の怪物となる。血縁を否定する瞬間こそ、彼が“人間”を最終的に脱ぎ捨てた瞬間だ。

ここに聖書の影が重なる。旧約「出エジプト記」の十の災いは血から始まり、黙示録は「血の海」で終わる。タイトル There Will Be Blood は予告ではなく預言だ。血は必然的に流れる。石油の血脈を掘り当てた者は、やがて人の血を流すことになる。資本は収奪の力であり、その力を持った者は他者を食らう怪物になる運命を逃れられない。

ボウリング場でのイーライ撲殺は、単なる私怨の暴力ではない。資本が宗教を屈服させ、欲望が神を凌駕し、人間が怪物に変わり果てた瞬間の祭儀である。ボウリングのピンは聖職者の杖ではなく、処刑具として振り下ろされる。血を流し尽くした後に残るのは「終わった(I’m finished)」という虚ろな呟きだけ。

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、石油王の成功譚ではない。資本主義の吸血鬼が神を殺し、共同体を喰らい、自らの魂を焼き尽くすまでを描いた血の黙示録。石油に火を灯したその瞬間、世界はすでに滅びに向かっていたのである。

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