
『ザ・ドライバー』(The Driver)は、1978年に公開されたアメリカ映画。監督・脚本はウォルター・ヒル。犯罪者を乗せて逃走を請け負う無名の男と、ドライバーを執拗に追う刑事との対決を、極限まで削ぎ落とした台詞と研ぎ澄まされたカーアクションで描くハードボイルド映画である。
登場人物には固有名が与えられない。「男」「刑事」「女」。物語は心理説明を拒み、行為と視線、速度と沈黙だけで進行する。カーアクション映画でありながら、実際に描かれているのは“追う者と逃げる者の存在論的な対称性”である。
スタッフ
- 監督・脚本:ウォルター・ヒル
- 製作総指揮:ローレンス・ゴードン
- 音楽:マイケル・スモール
- 撮影:フィリップ・H・ラスロップ
- 編集:ティナ・ハーシュ、ロバート・K・ランバート
- 配給:20世紀フォックス
- 公開:1978年
- 上映時間:91分
『ザ・ドライバー』は、アラン・ドロン主演の『サムライ』や、リー・マーヴィン主演の『殺しの分け前/ポイント・ブランク 』に影響を受け、今度は『ターミネーター』に影響を与え、『ターミネーター』のトンネルシーンは『ザ・ドライバー』と同じロケ現場である。
キャスト

- 男(ドライバー):ライアン・オニール
- 刑事:ブルース・ダーン
- 女:イザベル・アジャーニ
あらすじ

強盗を逃がすためだけに雇われる凄腕のドライバー。盗んだ車で現れ、仕事を終えると車を廃車場に捨て、痕跡を残さない。一方、ドライバーを捕まえることに人生を費やす刑事は、証拠のないまま執拗に罠を仕掛ける。
銀行強盗、裏切り、二重の罠。男と刑事は何度もすれ違い、互いの存在を確信しながらも、決定的な勝利には辿り着けない。最後に残るのは金でも逮捕でもなく、「二人とも騙された」という静かな事実だけだった。
映画レビュー:ハンドルを握る者は、どこにも属さない

『ザ・ドライバー』は、逃走の映画であると同時に、「役割から逃げられない人間」の映画だ。ドライバーは、人格を持たない。名前も過去も語られない。ただ走る。速く、正確に、感情を挟まずに。存在価値は、アクセルとブレーキの間にしかない。止まった瞬間、空白になる。
刑事も同じだ。法の番人というより、ドライバーを追うためだけに生きている。証拠も、規則も、目的ですらどうでもいい。ただ「捕まえる」という衝動だけが刑事を動かしている。
この二人は、対立しているようで、実は鏡像だ。一方は逃げることでしか存在できず、もう一方は追うことでしか存在できない。
『ブリット』のフランク・ブリットが「沈黙の中で自分の信念を守ろうとする男」だったとすれば、『ザ・ドライバー』の男は、信念すら持たない。持たないことを選んだ男だ。正義も悪も引き受けない。仕事を完遂することだけが世界との接点になる。
女(イザベル・アジャーニ)は、金のために立ち位置を変えるが、実はこの映画で唯一「自由に見える」存在だ。その自由も幻想に近い。誰よりも早く現実を察知し、誰よりも静かに姿を消す。彼女は走らないが、最も早く逃げ切る。
クライマックスで明かされる真実は、勝者がいないということだ。金は消え、刑事もドライバーも空振りに終わる。
走り続けることでしか生きられない男が、最後に選ぶのは、再び走り出すことでも、捕まることでもない。ただ静かに、その場を去ること。
『ザ・ドライバー』は、カーアクションの形を借りた存在の映画である。人は、何者かであり続けるために、同じ動作を繰り返す。逃げる者は逃げ続け、追う者は追い続ける。そして、どちらも「どこにも辿り着かない」
ハンドルを握っているのは、勝利ではない。孤独と速度と、役割から降りられないという事実だ。だからこの映画は、エンジン音が止んだあとも、長く胸に残る。走ること自体が、生き方になってしまった人間たちの、静かな肖像として。
Amazonプライムで観る:『ザ・ドライバー』
