
『特攻大作戦』(The Dirty Dozen)は、1967年に公開されたイギリス・アメリカ合作の戦争映画。監督はロバート・アルドリッチ。E・M・ナサンソンの小説『12人の囚人兵』を原作に、死刑囚や重罪犯で構成された部隊が、ノルマンディー上陸作戦前夜に“成功しても生きて帰れる保証のない任務”へ投入される姿を描く。
スタッフ
- 監督:ロバート・アルドリッチ
- 脚本:ナナリー・ジョンソン、ルーカス・ヘラー
- 原作:E・M・ナサンソン
- 製作:ケネス・ハイマン
- 音楽:フランク・デ・ヴォル
- 撮影:エドワード・スケイフ
- 編集:マイケル・ルチアーノ
- 配給:MGM
- 公開:1967年
- 上映時間:150分
この映画を15歳のとき、大阪・梅田のOSシネラマ劇場で観た井筒監督は、「ロバート・アルドリッチ監督作品。こまかくて大胆な監督。学校映画会では絶対お目にかかれない。15歳のぼくは、これからは、見るなら、この人の作るモノにお金を払おう、と心に誓っていた」と著書に記している。
キャスト

- ジョン・ライズマン少佐:リー・マーヴィン
- ウォーデン少将:アーネスト・ボーグナイン
- ジョセフ・T・ウラディスロー:チャールズ・ブロンソン
- ロバート・T・ジェファーソン:ジム・ブラウン
- ヴィクター・R・フランコ:ジョン・カサヴェテス
- アーチャー・J・マゴット:テリー・サバラス
- ヴァーノン・L・ピンクリー:ドナルド・サザーランド
当初、主役は、ジョン・ウェイン、アルド・レイ、バート・ランカスター、ジョージ・チャキリス、ニック・アダムス、ジャック・パランス、シドニー・ポワチエなど候補だった。ジョン・ウェインが辞退した後、アルドリッチが推薦したリー・マーヴィンが選ばれた。
あらすじ
独断専行で軍上層部から疎まれているライズマン少佐は、ノルマンディー上陸作戦を前に、前代未聞の破壊任務を命じられる。参加するのは、死刑や長期刑を待つ12人の囚人兵たち。任務に成功すれば刑を免除するという条件のもと、過酷な訓練に叩き込まれる。
反抗と混乱を繰り返しながらも、囚人たちは次第に連帯を獲得し、即席の部隊として形を成していく。やがて作戦は決行され、彼らはドイツ軍高級将校が集う保養施設を襲撃。壮絶な戦闘の末、作戦は成功するが、生き残る者はわずかだった。
映画レビュー:それでも、なぜ囚人兵に憧れてしまうのか

『特攻大作戦』が描いているのは、もっと身も蓋もない、「使い捨てられる人間の再利用」である。 12人の囚人兵は、すでに社会から排除された存在だ。英雄になり損ねたのではない。そもそも、英雄になる権利すら与えられていない。国家にとっては、矯正されるべき存在であり、同時に、消耗しても構わない資源でもある。
ライズマン少佐も、囚人たちを救おうとしない。正義を説かない。更生を信じてもいない。ただ、「任務を遂行できる集団」に仕立て上げる。その冷徹さは非情に見えるが、同時に誠実でもある。希望という嘘を与えない。与えるのは条件だけだ。
作戦終盤、精神に破綻をきたしたマゴットが暴走し、味方に殺される場面は象徴的だ。戦場は、誰の異常も矯正しない。適応できない者は、敵より先に排除される。戦争は、人間を選別する装置として機能する。 最終的に生き残るのは2人だけだ。
名誉回復という言葉が与えられるが、それは死者のための装飾にすぎない。失ったものは戻らないし、社会が迎え入れる保証もない。
それでも、この映画を観終えたあと、奇妙な感情が残る。
「こんなふうに死にたい」とは思わない。だが、「こんな生き方をしてみたい」と、どこかで思ってしまう。
理由は単純だ。囚人兵たちは、人生において一度も“自分の役割を自分で引き受ける瞬間”を持たなかった男たちだからだ。
囚人は悪人であり、犯罪者であり、社会不適合者であり、失敗者だ。社会の側から一方的に「不要」と烙印を押され、切り捨てられた存在である。
ライズマン少佐は、希望を与えない。同時に偽善でも縛らない。
「お前たちは英雄にはならない」「だが、この任務をやる意味はある」
それだけを提示する。
この映画で囚人兵たちが変わっていくのは、善人になるからでも、愛国心に目覚めるからでもない。「誰かに命令されてではなく、自分で腹を括った行為」を初めて引き受けるからだ。
ここで描かれる連帯は、美談ではない。理想でもない。ただ、「ここにいる限り、やるしかない」という現実から生まれた、極めて男臭く、実利的な結束だ。だからこそ、そこに強烈な魅力がある。
マゴットが暴走し、味方に殺される場面は、この集団の残酷な限界を示す。戦場は誰も救わない。適応できない者は、仲間であっても排除される。裏を返せば、それ以外の者たちは、最後まで「自分の居場所」を持ち続ける。
11人が死んだ。名誉回復も、社会復帰も、ほとんどが幻想に終わる。それでも、この作戦の中で囚人兵たちは、生涯で一度だけ、「俺はここにいていい」という感覚を得る。人が死に、人格が壊れ、未来が断ち切られても、「目的が達成されれば正解」になる世界。その世界において、一瞬だけ、役に立った。
使い捨て、上等。塵も積もれば山となる。
現代社会では、失敗しても生き延びることはできる。だが、失敗したあとで「役割」を与えられることは、ほとんどない。使い捨てだと分かっていても、「それでも行く」と腹を決めた囚人兵の姿が、どこか眩しく見える。
『特攻大作戦』は、どんな場所でも、人は一瞬だけ“男になれる瞬間”を持ちうることを描いている。それが、命と引き換えであっても。
爽快ではない。救いもない。それでも、胸の奥で静かに残るのは、羨望に近い感情だ。
使い捨てにされた男たちが、最後に“自分で選んだ顔”をしていたからだ。それこそが、『特攻大作戦』が今も忘れられない理由である。
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