シネマの流星

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『殺しの分け前/ポイント・ブランク』〜足音のない旅、終わらない点と線

『殺しの分け前/ポイント・ブランク』〜世界から切り離された男の、終わらない点と線

『殺しの分け前/ポイント・ブランク』(Point Blank)は、1967年のアメリカ映画。
ジョン・ブアマン監督によるネオ・ノワールの代表作であり、ドナルド・E・ウェストレイク(リチャード・スターク名義)の小説「悪党パーカー/人狩り」をフィルムに移し替えた“犯罪映画の解体作業”のような一本。タイトルの Point Blankは、直訳すると「至近距離から」「単刀直入」などの意味だが、井筒和幸は「はっきりしないこと」と書いた。

スタッフ

  • 監督:ジョン・ブアマン
  • 脚本:アレクサンダー・ジェイコブス、デヴィッド・ニューハウスなど
  • 原作:リチャード・スターク(「悪党パーカー/人狩り」)
  • 製作:ジャド・バーナード、ロバート・チャートフ
  • 音楽:ジョニー・マンデル
  • 撮影:フィリップ・H・ラスロップ
  • 編集:ヘンリー・バーマン
  • 製作会社:MGM
  • 公開:1967年
  • 上映時間:92分

この映画が、ジョン・ブアマン監督の出世作となった。井筒監督は奈良高校の1年生のとき、奈良の三条通りにあった「友楽映劇」で『グラン・プリ』との2本立ててで観た。

キャスト

『殺しの分け前/ポイント・ブランク』〜世界から切り離された男の、終わらない点と線

  • ウォーカー:リー・マーヴィン
  • マル・リース:ジョン・ヴァーノン
  • クリス(リンの妹):アンジー・ディキンソン
  • リン・ウォーカー :シャロン・アッカー
  • ヨスト:キーナン・ウィン

井筒監督はダークスーツとダークネクタイのリー・マーヴィンに痺れっぱなしで、この映画を「ドロップ・アウト」ではなく、「ドロップ・アップ」と称えている。

あらすじ

強盗計画に参加したウォーカーは、共犯のリースと妻リンに裏切られ、金を奪われたままアルカトラズ島で銃撃され、死の淵に置き去りにされる。しかしウォーカーは“なぜか”生き延び、都市ロサンゼルスへと戻ってくる。

求めるのは、奪われた「分け前」9万3千ドル。ただし、その金はすでにリースが属する巨大犯罪組織の資金網に吸い込まれ、誰の手にも渡らない「組織の金」と化していた。

ウォーカーは、感情も怒りも示さないまま、ただ淡々と組織の階層をのぼっていく。
かつての妻リンの妹・クリスの協力を得ながら、リース、そして組織の幹部たちへと一歩ずつ近づいていく。

しかし、彼の行動には復讐者らしい激情がまるでない。金への執着も、愛情も、恨みも薄い。追っているのは、「自分がまだ生きている」ことを確かめるための、奇妙な儀式のようだった。

ウォーカーは生なのか、死なのか。本当に復讐をしているのか、それとも存在証明を探しているだけなのか。追えば逃げ、近づけばすり抜ける「分け前」とともに、亡霊のような男の旅は続いていく。

映画レビュー:存在しない男の復讐劇、存在の空虚を歩く男

『殺しの分け前/ポイント・ブランク』〜世界から切り離された男の、終わらない点と線

ウォーカーとは、“存在している影”の名前である。ウォーカーは、復讐者ではない。男でも、ギャングでも、ヒーローでも悪党でもない。「立っているのに、存在していない人間」 だ。『ポイント・ブランク』は、物語の形をした“亡霊の映画”である。ウォーカーが歩くたび、足音のない音が響くような感覚が残る。生者の世界に迷い込んだ死者が、ただ自分の空白を埋めるように前へ進む。

普通、復讐者には怒りがある。だが、ウォーカーには、怒りがない。あるのは “何かが欠けている”という感覚だけ だ。奪われたのは金ではない。裏切られたことへの悲しみでもない。奪われたのは “自分が世界に属しているという実感” である。

裏切りの瞬間に、ウォーカーは世界から切り離された。それ以来、ずっと“世界の輪郭を回収しようとする旅”を続けている。

だから復讐は異様に静かで、徹底的で、感情がない。感情のない復讐ほど恐ろしいものはない。

生きているのか?
死にそこねた亡霊なのか?
そもそも本当に復讐しているのか?

ウォーカーが求める金は、「分け前」と呼ばれる。だが、復讐の旅はどう考えても赤字だ。金のために人を追っていない。金は、“自分がまだ生きているという証明”にすぎない。

金を取り戻すことが目的ではなく、金を取り戻そうとする行動を続けることで、ウォーカーは「存在しているフリ」をしている。神社巡りの御朱印集めのようなもの。

だから、終わらない。金はいつも先に逃げる。ウォーカーはいつも一歩遅れる。遅れることで、かろうじて世界に留まっている。

リンは罪悪感に耐えられず、自ら死を選ぶ。しかし、リンの死が濃く描かれないのは彼女の死が“ウォーカーという存在の空虚さ”の写し鏡だから だ。リンが死んでも、ウォーカーは涙を見せない。怒りも悲しみも表さない。自分の死を見ている人間のようだ。

ウォーカーにとって現実は、すでに遠い。ウォーカーはただ進む。立ち止まらず、曲がらず、寄り道もせず、まっすぐ進む。物語全体は“円を描く”ように作られている。

敵を倒してもまた敵が現れ、金に近づいても金は別の階層へと逃げていく。

ウォーカーは、円の上を歩いているのに、直線を歩いていると信じている男だ。

映画の最後、求めていた金は、ついに手元に来ない。しかし、その不在こそが、ウォーカーをウォーカーたらしめている。

存在とは、手に入るものではなく、手に入らないものを追い続ける行為。

この映画が今なお異様な熱を持ち続けている理由はそこにある。

ウォーカーは復讐しているのではない。世界に触れようとしているだけだ。触れれば指先が抜け落ち、掴めば形が溶ける。透明人間のように世界を走り抜ける。

裏切りも、金も、死も、復讐も、ウォーカーにとっては「存在を確かめるための道具」にすぎない。

生きているようで、生きていない。死んでいるようで、死んでいない。

井筒監督の「はっきりしないこと」というタイトルの解釈は、まさにこの曖昧さを射抜いている。

ウォーカーは“はっきり生きていない”のだ。だから“はっきり死ぬ”こともできない。

映画が終わっても、ウォーカーは歩き続ける。人生で何かを失い、自分が半分だけ透明になった気がしたことがあるなら、『ポイント・ブランク』は、その透明な部分に届く。