
『モーターサイクル・ダイアリーズ』(原題:Diarios de Motocicleta)は、2004年公開の南米ロードムービー。監督はウォルター・サレス、製作総指揮をロバート・レッドフォードが務めた。
若き日のエルネスト・“チェ”・ゲバラが、友人アルベルト・グラナードとともにオートバイで南米を縦断した実話をもとにしている。主演はガエル・ガルシア・ベルナル。革命家の誕生を描くのではなく、“革命という思想が生まれる前の心の震え”を描いた、詩のような映画である。
スタッフ
監督:ウォルター・サレス
脚本:ホセ・リベーラ
製作:マイケル・ノジック、エドガード・テネンバウム、カレン・テンコフ
製作総指揮:ロバート・レッドフォードなど
音楽:グスターボ・サンタオラヤ
撮影:エリック・ゴーティエ
編集:ダニエル・レゼンデ
製作会社:Film4 Productions
配給:フォーカス・フィーチャーズ/日本ヘラルド映画
公開:2004年10月9日(日本)
上映時間:127分
キャスト

エルネスト・“チェ”・ゲバラ:ガエル・ガルシア・ベルナル
アルベルト・グラナード:ロドリゴ・デ・ラ・セルナ
あらすじ

1952年、23歳の医学生エルネスト・ゲバラは、生化学者の友人アルベルト・グラナードとともに、老朽化したバイク「ポデローサ号」で南米縦断の旅に出る。アルゼンチンからチリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラへ。
旅の目的は冒険であり、自由への渇望だった。だが、旅はやがて、南米大陸の現実と直面する「心の旅」へと変わっていく。
アンデス山脈を越え、銅山での搾取を目の当たりにし、マチュ・ピチュで文明の栄枯を感じ、ペルーのハンセン病療養所で患者たちと共に過ごす。エルネストは次第に、自らが医師として治すべきものが“病”ではなく、“社会そのもの”であることに気づいていく。旅の終わりに、エルネストは広いアマゾンの川を泳ぎ渡り、隔てられた世界。健常者と病者、富める者と貧しい者――の境界を超えていく。それは、青年が“思想家チェ・ゲバラ”へと変わる、静かな目覚めの瞬間だった。
映画レビュー:『モーターサイクル・ダイアリーズ』

映画は、世界への入り口であり、出口でもある。
2004年、立命館大学の2回生だった僕は、京都・弥生座を出たとき、もう同じ自分ではなかった。この映画を観ていなければ、きっと今も海外には行かず、日本の外を知らずに生きていた。
2013年10月、ホンダのCB1300にまたがり、日本一周の旅に出ることもなかった。
映画が人生を変える。その言葉を、この作品で初めて実感した。
『モーターサイクル・ダイアリーズ』は、革命映画ではない。
世界を変える前に、まず世界を見ることから始まる、ひとりの青年の覚醒の物語だ。映画の中のエルネストは、まだ“チェ”ではない。理想も確信も持たない、ただの旅人である。
ひとりの青年が、南米大陸を走るうちに、風景の中に“痛み”を見つけていく。旅とは、世界の広さよりも、自分の小ささを知ること。知らなかった世界の中で、自分の目を開いていくこと。
エルネストは、言葉ではなく“視線”によって成長していく。貧困や差別を見ても、すぐに怒りを爆発させることはない。その沈黙こそが、ゲバラの誠実さであり、最初の革命である。
エルネストは、「怒ること」よりも「理解すること」から始める。それは、外の世界と戦うためではなく、自分の内部に革命を起こすための沈黙。
ペルーのハンセン病療養所で、エルネストは川を泳いで渡る。友情の証ではなく、人間と人間のあいだに引かれた線を消す行為として。健常者と患者、支配者と被支配者、北と南。あらゆる境界を超える。エルネストは水の中で、まだ知らなかった“自分自身”と出会う。この川は母親の胎内であり、自分を生まれ直す産湯。
エルネストが見たのは、世界ではなく、自分のはじまり。
人は、世界の痛みに気づいた瞬間、もう元の場所へは戻れない。革命とは、まず見ることから始まる。見ることで、責任を負う。革命の火は銃ではなく、まなざしから始まる。旅の終わりに、ひとは“今までの自分という地図”を失う。
あの日、弥生座を出たとき、僕の中にも小さな火種が宿った。エルネストが南米を走ったように、自分という世界の“境界線”を確かめたいと思った。自分という地図の外へ出てみたくなった。あの日から僕は、永遠の異邦人、ヴァガボンド(放浪者)になった。
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チェ・ゲバラの映画