
『神々の山嶺』(原題:Le Sommet des dieux)は、2021年に公開されたフランスのアニメーション映画。夢枕獏の小説、および谷口ジローの漫画『神々の山嶺』を原作とし、孤高の登山家・羽生丈二と、彼の謎を追うカメラマン・深町誠の物語を描く。エベレスト初登頂の謎に迫る中で、二人の男の執念と情熱、極限の世界での生き様が描かれる。
スタッフ
- 監督:パトリック・インバート
- 脚本:マグリット・ルモワンヌ、ジャン=シャルル・オストレロ、パトリック・インバート
- 原作:夢枕獏、谷口ジロー『神々の山嶺』
- 音楽:アマイン・ブハファ
- 制作:フォルジュ・アニメーション
- 配給:ギャガ(日本)
- 公開:2021年9月22日(フランス)、2022年7月8日(日本)
- 上映:94分
あらすじ

カメラマンの深町誠は、ネパールの首都カトマンドゥで古いカメラに出合う。それは1924年にエヴェレストで消息を絶った伝説の登山家ジョージ・マロリーのものではないかと噂される貴重な品だった。カメラの行方を追う中で、深町は天才登山家・羽生丈二の存在を知る。
彼はかつて「登山界の伝説」と呼ばれた男だったが、今は姿を消している。深町は羽生の足跡を追い、彼がエヴェレストに単独で挑もうとしていることを知る。彼の執念の理由とは何か。そして、マロリーのカメラには何が映っているのか――。極限の世界で交錯する二人の男の物語が、静かに、そして力強く展開されていく。
映画レビュー

まず震撼させられるのは、オープニングの静謐な迫力。雪煙に揺れるエヴェレスト。うめき声のような風音だけが響く。 そこにあるのは単なる山岳風景ではなく、エヴェレストそのものの鼓動、呼吸、体温。アニメーションでありながら、実写を超える迫真性がある。それは写実でも印象でもなく、キュビズムですらない。山の肖像画を描くように、チョモルンマという存在をスクリーンに刻み込んでいる。この映画は、オープニングの一瞬で、すでに登頂に成功している。
本作が日本ではなくフランスで制作されたことの意義は大きい。日本人が描く登山映画とは異なり、フランスの視点から山の非情さがより鮮烈に表現されている。アルプスの本場の国だからこそ生み出せる、別次元の迫真性がそこにある。

エヴェレスト登山の映像美は圧巻だが、それ以上に評価すべきは、谷川岳の鬼スラやグランドジョラス北壁といったシーンをじっくり描いたことだ。いきなりラスボス(エヴェレスト)に挑むのではなく、前段階の過酷な挑戦の積み重ねを丁寧に描いたからこそ、最終局面が際立つ。
登山はしばしば「生と死」という二元論で語られる。しかし、本当に焦点を当てるべきは「生き方」と「死に方」。どう生きるのか、どう死を迎えるのか。その問いに対する絶対的な答えはない。ただ、クライマーは常に自らに問い続けるしかない。
人間は白黒をつけたがる。勝ち負け、優劣、成功と失敗。しかし、この映画はそうした価値観を超越し、「生も死も対等に尊い」 ことを示している。人生は死に向かう旅であり、死をもって人はより大きな存在になる。
6年前に公開された実写版も、このアニメーション版も、エヴェレストの空気感を見事に捉えていた。そして、本作の特筆すべき点は、ただの山岳映画ではなく、登山の本質そのものに迫っていることだ。
「生きているから山に登るのではなく、山に登ることで生かされている」
原作小説や漫画の魅力を超え、ある意味では本物の登山体験すら凌駕するものがここにある。

多くのクライマーは「なぜ山に登るのか?」と問う。しかし、山はその問いに答えを与えはしない。登頂も遭難も、どちらも通過点に過ぎない。もし、そこが終わりであれば、そこに答えはある。しかし、登頂も遭難も山登りは終わらない。登山とは「答え」をくれる行為ではなく、クライマーに「問い」をくれ続けるのだ。 だから登山は人生そのものなのである。
鑑賞記録:2022年7月12日 新宿ピカデリー
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