シネマの流星

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『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』退廃か、自由か、奪還されるのは名画か、人間の尊厳か

『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』退廃か、自由か、奪還されるのは名画か、人間の尊厳か

『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』は、2018年製作のイタリア・フランス・ドイツ合作のドキュメンタリー映画。クラウディオ・ポリ監督が、ナチス・ドイツがヨーロッパ全土で行った美術品の略奪と、それに翻弄された人々の運命を描く。1933年から45年にかけて、ナチスが奪った美術品は実に60万点に及び、そのうちいまだ10万点が行方不明とされている。芸術を支配することで世界をも支配できると信じたヒトラーの狂信と、権力に翻弄された美術史の闇を、証言と映像で浮かび上がらせる。

案内役を務めるのはイタリアの名優トニ・セルビッロ。日本語字幕監修は「怖い絵」シリーズの著者・中野京子。

スタッフ

監督:クラウディオ・ポリ
製作総指揮:ベロニカ・ボッタネッリ
原案:ディディ・ニョッキ
脚本:サビーナ・フェデーリ、アリアンナ・マレリ
撮影:マテウス・シュトレツキ
配給:クロックワークス、アルバトロス・フィルム
公開:2019年4月19日
上映時間:97分

キャスト

案内人:トニ・セルビッロ

あらすじ

『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』退廃か、自由か、奪還されるのは名画か、人間の尊厳か

ナチス政権下、ヨーロッパ各地で名画は次々と没収され、行方をくらました。ヒトラーは「退廃芸術」を排斥し、代わりに自身の理想に沿った「大ドイツ芸術館」を構想する。ピカソやクレーといった巨匠の作品は追放され、ユダヤ人コレクターからは文化の象徴が容赦なく奪われた。戦後70年以上を経てもなお行方不明の美術品の数々と、その背後にある人々の記憶を追い、芸術が権力に蹂躙された歴史を明らかにしていく。

絵画レビュー:『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』

『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』退廃か、自由か、奪還されるのは名画か、人間の尊厳か

アートが人を狂わせるのか、人が狂ってアートになるのか。美とは、美でしかない。ただそれだけの話。その「だけ」がやたらと厄介だ。人間は、美に取り憑かれ、狂わされ、振り回され、気がつけば人生がとんでもない方向へ流れていく。

この映画が突きつけるのは、芸術を単なる装飾や趣味ではなく、芸術は矛盾を孕むということ。調和でもあり、破壊でもあるということ。自由であり不自由であること。

ここで描かれるのは、「権力の道具」として扱おうとした時代である。ナチスは美術を「正しいもの」と「退廃したもの」に分類し、前者を神聖化し後者を葬ろうとした。しかし芸術とは、本来は分類できないものであり、むしろその曖昧さこそが人間の精神を豊かにする。分類し、序列をつけることで、芸術の根源である自由は奪われた。

映画が哲学的に響くのは、「美」と「権力」の関係がそのまま「人間」と「自由」の関係に重なって見えてくる点だ。美術品は奪われ、隠され、換金され、時に闇市をさまよった。それでも一部の絵画は生き延び、再び人々の前に現れる。これは芸術そのものの生命力であり、権力がどれほど強大でも抹消できない証である。

ピカソの絵を退廃と呼ぶ権力者がいた一方で、その絵に希望や真実を見いだした無名の人々がいた。つまり、芸術はつねに「解放」と「抑圧」の狭間に立ち、どちらに転ぶかは人間の選択に委ねられているのだ。

《ゲルニカ》を創造したピカソは、ナチスに問い詰められる。「この絵を描いたのはお前か?」ピカソは答える。「いや、この絵を創造したのは、君たちだ」と。

『ヒトラーVS.ピカソ』は、歴史の悲劇を振り返ると同時に、今を生きる私たちに「あなたは芸術をどう見るのか」という問いを投げかけている。

この問いは過去に属するものではない。芸術を権威づけたり、排除したりする衝動は、現代にも潜んでいる。映画はその危うさを映し出すことで、芸術を自由に見るまなざしこそ、人間の尊厳を支える最後の砦であると示している。

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ピカソ《ゲルニカ》

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