
『時をかける少女』は、2006年に公開された細田守監督の長編アニメーション映画。筒井康隆の同名小説を原案としつつも、物語は原作の続編的な位置づけとして制作された。主人公は原作に登場する芳山和子の姪・紺野真琴。彼女が偶然手にした「タイムリープ」の能力によって繰り広げる青春SFストーリー。細田作品の名を広めるきっかけとなった代表作のひとつ。
スタッフ
- 監督:細田守
- 脚本:奥寺佐渡子
- キャラクターデザイン:貞本義行
- 作画監督:青山浩行
- 美術監督:山本二三
- 音楽:吉田潔
- 声の出演:仲里依紗、石田卓也、板倉光隆、原沙知絵
- 制作:マッドハウス
- 配給:角川ヘラルド映画
- 公開:2006年7月15日
- 上映時間:98分
あらすじ
高校2年生の紺野真琴は、普通の女子高生。勉強も運動も得意ではなく、いつも友人の間宮千昭と津田功介とつるんで、平凡な日常を送っていた。
ある日、真琴は理科実験室で不思議な現象に巻き込まれ、気がつくと時間を巻き戻す「タイムリープ」の能力を手に入れていた。
最初は試験のやり直しや、食べ損ねたプリンを食べるためにタイムリープを繰り返す真琴。しかし、次第にその力が自分だけの都合では済まされないことに気づいていく。
やがて、千昭の「本当の想い」に触れたとき、真琴はタイムリープが持つ本当の意味と、その儚さを知ることになる。時間の流れに抗いながらも、決して変えられない運命の中で、彼女が最後に選んだ未来とは――?
映画レビュー
東映を卒業した細田守、第二のデビュー作。配給は角川ヘラルド映画。デビュー作にはアーティストのすべてが凝縮される。これまで春の映画だけを使っていた細田守が、夏というオモチャで遊戯する。
青空と雲、昼間のカクテル光線。これだけで「青の時代」が蘇る。夏の匂いが画面の向こうから流れ込んでくる。
そして夕暮れの空。ここでも細田守は、映像では決して再現できない「夏の匂い」を届けることに成功した。
時間の地平線から始まるオープニング。「時間」は少女によって「時」に変わる。
『冒険者たち』『明日に向かって撃て』。映画における「男2人と女1人」の組み合わせは珍しくない。しかし、今回は「少女」が主人公。

少女は常にはみ出す。社会に抗う。真琴は風呂桶に収まらない。「今」に窮屈を感じている。だから「過去」と「過去からの未来」を往復する。
真琴のスカートはやたら短い。やたらと身体を傷つける。真琴は何度も転んでは立ち上がる。何と闘っているかは分からない。だが、ひとは何かと闘わなければいけない。それが生きること。
真琴のキャラが躍動するのは秀逸な学園生活の描写による。福島先生のほかにキャラが立っているわけでもないのに、ひと時のエピソードが胸にこびりつく。居そうで居ない、居ないようで懐かしい学生たち。
秀逸なのはプロレスごっこ。時計のようにグルグル回る様は、時をテーマにした本作と重なる。時間をジャイアントスイングしている。
投げる、打つ、守る。それぞれ動きは違うが、どれかが欠けても野球はできない。男子に混じって野球をやる女子は珍しい。これこそ『時をかける少女』が恋愛映画ではなく、ジェンダーを超えた友情や愛情の物語であることを象徴している。
『時をかける少女』は、奇天烈なSF要素が主役ではなく、3人の若者がそれぞれの岐路に立ち、決断する物語。
今作には、ふたりのメッセンジャーがいる。ひとりは千昭。この未来人は『白梅ニ椿菊図』という一枚の絵画を見るためだけに過去に来る。
生産性や使命感があるわけではない。ただ「見る」ためだけにタイムトラベルをする。そこに人生を変えてくれる予感がある。まさに我々が映画館に足を運ぶのと同じ。
千昭がカラオケで繰り返し歌う「Time waits for no one」は真琴たちへのメッセージ。Future is now。未来は今なのだ。
もうひとりのメッセンジャーは、真琴の叔母の芳山和子。ここにもうひとつのボールが存在する。かつて「時をかけた少女」から「時をかけようとする少女」へ未来を託す。
いつまでも深町が未来からやって来ることを待ち続ける和子。しかし、未来は「未だ来ない」と書く。自分の後悔を真琴に託し、「待ち合わせに遅れてきた人がいたら走って迎えに行きなさい」と背中を押す。
そして和子が修復する絵は、千昭だけでなく、かつての深町(実写版の未来人)が見るかもしれない。だから和子は部屋にラベンダーの花を飾り、絵を修復する。未来を変えようとする。
ひとは時間に縛られる生きもの。だが「時」は自らの意志で動かせる。だからタイトルは「時間をかける」ではなく「時をかける」なのだ。
真琴はタイムリープの力ではなく、自らの意志で未来を変えようとする。未来を待つのではなく乗り越える。『時をかける少女』は未来へ向かう作品ではない。未来を超える話。千昭が言う「未来で待ってる」も、真琴の言う「走っていく」も、実際に行くわけではない。その言葉が意味するのは、未来を超えていく意志に他ならない。
多くの映像作家が「階段を登る」キャラクターを描くなかで、細田守は「坂道を下る」人物を描く。日常へと降りていく。登山でいう下山。本当に尊いのは登頂ではない。次の山であり、未来を変えに向かう下山なのだ。
ラストで真琴はボールを投げる。千昭のいる未来へ、全力投球で。
細田守の珠玉の地平線
ほしのこえを聴きに
雲のむこう、約束の場所の舞台を巡る
秒速5センチメートルの舞台を追う
星を追う子どもをつかまえに
言の葉の庭の舞台を巡る
君の名は。を逢瀬する
天気の子を見上げる
すずめの戸締まりを旅する
彼女と彼女の猫を巡る
新海誠と新宿
新海誠もうひとつの世界
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新海誠監督ご本人も気づかなった作品の深淵に迫った映画レビュー集です。









