21世紀以降、いまだ『EUREKA』を超える実写の日本映画は現れていない。
映画監督の仕事は役者の演出でも、映像や音楽をこねくり回すことでもない。世界に眼差しを提供すること。
青山真治は白黒でもセピア色でもなく、温もりのある土色のフィルタを観客に提示した。沢井や梢の孤独を温めた。
車窓からの景色を見せ、観客をバスに乗せて彼らを一緒に見守らせた。
沢井の咳が最大の音楽。声にならない声、SOS、やるせなさ、観客へのノック。
ラストで世界がカラーに変わるとき、彼らは何かを発見した。それは青山真治も分からない。ただ発見したことだけが分かっている。キャラクターは監督の私物ではない。彼らには彼らの人生があり、彼らにしかわからない。この距離感こそが映画。
映画は観客に答えではなく「考えること」を提示するもの。
現代の濱口竜介のように、青山真治より才能のある監督はいるが、才能だけではこの作品は作れない。
あと何年生きられるかわからないが、残りの人生でEUREKAを超える邦画に出逢えるだろうか。