
『俺たちに明日はない』(原題:Bonnie and Clyde)は、1967年製作(日本公開1968年)のアメリカ映画。監督はアーサー・ペン、脚本はデヴィッド・ニューマン/ロバート・ベントン。
世界恐慌下、ウェイトレスのボニーと前科者クライドが恋に落ち、盗んだ車で州境を越えながら銀行強盗を重ねる。
貧客からは奪わないという“流儀”と、あえて写真に撮られ、新聞を賑わす“自己演出”が同時進行し、民衆のロビン・フッドとして神話化されていく。
銃声とエンジン音、そしてフラッシュの光。二人の逃走はアメリカン・ニューシネマの幕開けとなり、セックスと暴力をめぐる表現の地平を押し広げた。結末は映画史に刻まれた“血の雨”として記憶される。
スタッフ
- 監督:アーサー・ペン
- 脚本:デヴィッド・ニューマン/ロバート・ベントン
- 製作:ウォーレン・ベイティ
- 音楽:チャールズ・ストラウス
- 撮影:バーネット・ガフィ
- 編集:デデ・アレン
- 配給:ワーナー・ブラザース
- 公開:1967年8月4日(モントリオール国際映画祭)1967年8月13日(米)/1968年2月17日(日本)
- 上映時間:112分
- 製作国:アメリカ
当初、監督はフランソワ・トリュフォーを考えいたが他の撮影と重なっていたため断念し、次にオファーしたジャン=リュック・ゴダールも合意に至らず、最終的にアーサー・ペンが担当することになった。撮影のバーネット・ガフィ『地上より永遠に』も手掛けている名キャメラマン。この映画のアクションシーンは、黒澤明の『七人の侍』と『椿三十郎』を参考にしている。
キャスト

- ボニー:フェイ・ダナウェイ
- クライド:ウォーレン・ベイティ
- C・W・モス:マイケル・J・ポラード
- バック:ジーン・ハックマン
- ブランチ:エステル・パーソンズ
当初、クライド役は、ボブ・ディランにオファーしていたが、合意に至らず、プロデューサーを務めたウォーレン・ベイティ自身が演じることになった。
ウォーレン・ベイティは、恋人だったフランス人女優のレスリー・キャロンをボニー役に推薦したが、監督のアーサー・ペンがフェイ・ダナウェイに決めた。この映画でフェイ・ダナウェイが着けたベレー帽が世界中で流行している。
映画会社のワーナーは、この映画がヒットするとは思っておらず、ウォーレン・ベイティは最低賃金と、収益の40%を受け取る契約で制作。結果、5000万ドル以上を売り上げた。
あらすじ

刑務所帰りのクライドに退屈な日常を破られたボニーは、彼と共に逃避行へ。やがてC・W・モス、クライドの兄バックとその妻ブランチが加わり“バロウズ・ギャング”となる。新聞写真が英雄譚をでっち上げる一方、法の網は狭まる。裏切りと司法取引が進むなか、二人は待ち伏せに遭い、銃弾の嵐の中で同時に終わりを迎える。
映画レビュー:赤いシャッターの果てに

アメリカン・ニューシネマの夜明けを告げる写真機のシャッター音。滅びの予感をまとい、赤く染まるクレジットが画面を流れる。唇は魔性を帯び、裸体は虚飾を剥ぎとり、ボニーはただの女から“ボニー”へと羽化する。
クライドは性的不能の身体を抱えながら、社会に対して勃起する。ボニーは銃をペニスのように口に咥える。
ギャングから普通の夫婦になろうとするとき、ふたりはファックする。しかし、社会にファックユーした炎は斜陽し、死の太陽が昇る。
男と女の幸せは確かに尊い。だが、社会への怒りと不満を射精した頃の輝きは失われてしまった。銀行強盗と殺人が与えた富と名声は、結局は銃弾に奪われる。ボニーとクライドは、銃弾ではなく平和に殺された。悪名は無名に勝る。ふたりの魂を成仏させるのはブタ箱ではない。蜂の巣だけだ。
映画レビュー:銃弾はペニス、愛は引き金

『俺たちに明日はない』は、ただの銀行強盗映画じゃない。作品の中心にあるのは、〈性と暴力〉が一体化した、ボニーとクライドの奇妙で激しい関係だ。
クライドは勃起不全の男として描かれる。ベッドでは無力なのに、銃を握った瞬間、社会に向かって堂々と勃起する。ペニスの代わりに銃を抜き放ち、ボニーはそれを咥えるように扱う。この"反社フェラチオ"が観客に突きつけるのは、欲望と暴力が切り離せないという不穏な真実だ。
ふたりの強盗は、ただ金を奪うためじゃない。社会に「ファックユー!」と射精するための行為でもある。銀行強盗の銃声は、退屈で抑圧的な社会に放たれる、喘ぎ声のように響く。だからこそ、ふたりは記者のカメラに向かってポーズをとり、新聞に載ることを望む。セックスの代わりに犯罪を演じ、愛の代わりに銃撃を交わす。
だが、射精が終われば勃起も終わる。ふたりが「普通の夫婦」を夢見たとき、すでに輝きは失われていた。激情は斜陽し、残るのは“死の太陽”。結末の蜂の巣のような銃撃は、社会が彼らに与える唯一の絶頂であり、ふたりが本当に結ばれる唯一の瞬間だ。
映画レビュー:アメリカン・ニューシネマの黎明と晩鐘

アメリカン・ニューシネマは、男たちの鬱憤を銃声として射精する映画運動だった。国家への不満、戦争への苛立ち、日常の抑圧。それらをペニス=銃に託し、セックスと暴力で撃ち放つ快楽。それが、ニューシネマの主人公たちの姿でもある。
それまでのハリウッド映画は、性や暴力を抑制し、社会秩序を守る物語を積み上げてきた。今作は、勃起不全のクライドと、銃をペニスのように咥えるボニーを描き、性愛と暴力を結びつけることで〈生〉と〈死〉の境界を一気に侵犯した。
ここに示されるのは、“反逆”ではなく“射精”としての犯罪だ。銀行強盗の銃声は社会へのファックユーである。ニューシネマの精神が「体制への反抗」と語られるとき、その明確な形を与えたのがこの映画だった。
重要なのは、反抗が長続きしないことも同時に描いている点だ。ボニーとクライドが「普通の夫婦」を夢見た瞬間、勃起は萎え、射精の快楽は過去の残響となる。そしてラストの蜂の巣のような銃撃。あの衝撃的な死は、反抗が最終的に制度に飲み込まれる運命を象徴する。同時に、それがもっとも美しく、もっとも劇的な「絶頂」として描かれることに、この映画の美学がある。
社会への怒りを銃で射精しながらも、その怒りがすぐに斜陽する。『俺たちに明日はない』は、ニューシネマを「始めた」だけでなく、「終わり方」まで暗示していた。愛と暴力の融合、反抗の高揚と敗北の同居。それは後の『イージー・ライダー』や『真夜中のカーボーイ』へと受け継がれ、70年代アメリカ映画の叙事詩へと結晶していく。
『俺たちに明日はない』は、ニューシネマの「プロローグ」であると同時に、「エピローグ」をも孕んでいる。赤いシャッターに始まり、蜂の巣で終わる。そこに刻まれた痙攣こそ、アメリカン・ニューシネマの立ち位置を最も雄弁に物語っている。
この映画はニューシネマの黎明であり、同時に晩鐘でもあるのだ。
ボニーのアメリカン・ニューシネマ

アメリカン・ニューシネマが男の鬱憤を銃声として射精する運動だとすれば、ボニーはその射精を孕み、物語を出産する存在である。
クライドは勃起不全の男だ。ベッドでは無力だが、銃を握ると社会に向かって発射する。射精の快楽を彼女に与えられないかわりに、銀行強盗という暴力を通して外界に精液を飛ばす。ボニーはその弾丸を受け止め、ポーズを取り、伝説を“妊娠”していく。
彼女はただ欲望を満たされない女ではない。〈性的不能の恋人の代わりに、社会全体から受精する女〉である。ニューシネマの男たちが撃ち散らす精液の断片を、ボニーは自らの胎内で物語へと変える。だからこそ、ボニーは“アイコン”となり、アウトローの神話は彼女を媒介にして残る。
そしてラスト、蜂の巣の銃撃。それは、社会という巨大な男根集団から浴びせられる、無数の精液である。全身でそれを受け止める瞬間、ボニーは時代の母胎として完成する。死において射精を浴び尽くし、その液体を歴史のスクリーンに焼き付ける。
男の射精を、ただの鬱憤の発散に終わらせず、永遠に残る“伝説”へ変える力を持つのが、ボニー=女性の立場なのだ。
アメリカの神話を撃ち抜き、神話を拒絶した

1967年、アメリカ映画に激震が走った年だった。アーサー・ペン監督の『俺たちに明日はない』と、スチュアート・ローゼンバーグ監督の『暴力脱獄』。この二本は、アメリカン・ニューシネマの双子のように同じ年に誕生し、ハリウッドの古い価値観をまとめてぶち壊した。
『俺たちに明日はない』は、退屈な日常から飛び出した男女が、恋と犯罪に身を焦がし、銃声とカメラのフラッシュに包まれながら駆け抜けていく物語だ。観客は、ふたりが必ず破滅することを知っている。それでも目を逸らせない。なぜなら、そのラストの蜂の巣のような銃撃シーンは、ただの死ではなく美学として記憶されるからだ。甘美で退廃的なロマンが、この映画には濃厚に漂っている。
一方の『暴力脱獄』は、もっとストイックである。ポール・ニューマン演じるルークは、恋も革命も掲げない。ただ「言われた通りに従わない」という意地だけで生きる。脱獄も反抗も派手な大義のためではなく、ただ「NO」を突きつけ続けるためにある。そこには外向きのロマンはないが、沈黙の笑みで権威を拒むその姿は、制度の中でかえってひときわ輝く。アメリカ的ヒーローの笑顔をまといながら、そのヒーロー像を空洞にしてしまうのだ。
スタイルは正反対だが、二つの映画が行き着く先は同じである。どちらも死に至る。しかし重要なのは死に方そのものではない。『俺たちに明日はない』が「恋と死」のアメリカ神話を撃ち抜いたのに対し、『暴力脱獄』は「自由と服従」の神話を拒絶した。それぞれが異なる角度から、従順な生の終焉を描き出したのだ。
1967年、アメリカ映画は二つの声で産声をあげた。ロマンティックに散るボニーとクライド。沈黙の微笑みで抗うルーク。二つの死が告げたメッセージは同じだった。「もう、従順には生きられない」。それこそが、アメリカン・ニューシネマの始まりだった。
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1967年の傑作映画
アメリカン・ニューシネマの傑作
