
アメリカン・グラフィティ(原題:American Graffiti)は、1973年に公開されたアメリカ映画。1962年のカリフォルニア州モデストを舞台に、高校を卒業した若者たちが、それぞれの未来へと向かう直前に過ごす「最後の一夜」を描いている。
物語は一晩の出来事だけで構成される。翌朝には町を出る者、残る者、何も決められない者。それぞれが車を走らせ、音楽を聴き、出会いと別れを繰り返す。
スタッフ
- 監督:ジョージ・ルーカス
- 脚本:ジョージ・ルーカス、グロリア・カッツ、ウィラード・ハイク
- 製作:フランシス・フォード・コッポラ、ゲイリー・カーツ
- 撮影:ロン・イヴスレイジ、ジャン・ダルクイン、ハスケル・ウェクスラー
- 編集:ヴァーナ・フィールズ、マーシア・ルーカス
- 配給:ユニバーサル映画
- 公開:1973年8月11日、1974年12月21日(日本)
- 上映時間:110分
ユニバーサルはルーカスが付けた『アメリカン・グラフィティ』という題名を「分かりにくい」と気に入らず、「アナザー・スロー・ナイト・オブ・モデスト」という題名を提案した。コッポラは「ロック・アラウンド・ザ・ブロック」を提案した。
キャスト

- カート:リチャード・ドレイファス
- スティーブ:ロン・ハワード
- ジョン:ポール・ル・マット
- テリー:チャールズ・マーティン・スミス
- ローリー:シンディ・ウィリアムズ
- デビー:キャンディ・クラーク
- DJ(声):ウルフマン・ジャック
- ボブ・ファルファ:ハリソン・フォード
撮影は主にカリフォルニア州ペタルーマで行われた。台本はあったが、監督のジョージ・ルーカスは俳優たちに自由に演じさせた。
あらすじ

1962年9月、カリフォルニア州モデスト。高校を卒業したカートとスティーブは、翌朝には東部の大学へ進学する予定だ。だがカートは、この町を離れることに迷いを感じている。
一方、街に残り続けているジョンは、車と夜のドライブだけを生きがいにしている。気弱なテリーは借りた車で背伸びをし、思いがけない夜を経験する。彼らはそれぞれの車に乗り、ラジオから流れるウルフマン・ジャックの声を聞きながら、街を巡る。
夜は長く、朝は必ず来る。夜明けとともに、それぞれの選択へと向かっていく。


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映画レビュー:終わらない夜と、必ず来る朝

『アメリカン・グラフィティ』は、青春を賛美する映画ではない。むしろ描いているのは、「青春が終わることを、まだ誰も本気で信じていない瞬間」だ。
1962年という年は象徴的だ。ケネディ暗殺の前夜、ベトナム戦争が本格化する前、アメリカがまだ「無邪気でいられた最後の時間」。この映画に政治は出てこないが、その不在こそが時代の重さを物語っている。彼らはまだ、何も知らない。
車は自由の象徴のようでいて、同じ道を何度も回っているだけ。街を出ると言いながら、何度も同じ交差点を曲がる。ラジオから流れる音楽は懐かしさを呼び起こすが、その懐かしさは、すでに失われつつあるものへの先取りの感情でもある。
カートが追いかける白いサンダーバードの女性は、理想そのものだ。正体が分からず、触れられず、名前すら知らない。彼女は未来であり、可能性であり、「ここではないどこか」だ。だが、最後まで実体を持たない。だからこそ、カートは町を出る決意ができる。理想は、手に入らないからこそ人を動かす。
あの夜を生き延びた若者たちの未来は、決して輝かしいものばかりではない。4人のその後は、事故死、戦争での行方不明、平凡な生活。それらはドラマとして描かれない。ただ、事実としてラストのテロップで提示される。
ここにあるのは、アメリカン・ニューシネマの核心だ。「この一夜は永遠ではない」「思い出は、人を守ってはくれない」という冷静な視線。ノスタルジーに浸りながら、そのノスタルジーが嘘であることも、映画はよく知っている。
『アメリカン・グラフィティ』が特別なのは、終わりを悲劇として描かない点だ。誰かが絶叫するわけでもなく、世界が崩壊するわけでもない。ただ、朝が来る。それだけだ。だが、その当たり前の事実が、これほど感慨深く感じられる映画もない。
夜は続いてほしい。だが、続かない。夜は終わらないふりをして、朝は必ず来る。この映画は、「最後の一夜」を描きながら、実は「もう二度と同じ夜は来ない」という真実を静かに刻み込んでいる。それでも人は、あの夜を思い出す。何度も思い出す。思い出すことでしか、生き延びられないからだ。
『アメリカン・グラフィティ』は、青春映画ではない。青春が終わったあと、人が何を頼りに生きていくのかを描いた余韻と余白の映画である。
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